かつて平戸松浦家と大村家が、
勢力を争って戦を繰り広げていましたが、
お互いが平和的に境界を決定すべく、
天正14年(1586)に和議を行う事となり、
双方の代表者が舳ノ峰峠で落ち合い、
境界を決める会談を行いました。
そこで大村側は早岐までの領有を主張し、
松浦側は川棚までの領有を主張した為、… 続きを読む
長崎県佐世保市 舳ノ峰番所跡
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かつて平戸松浦家と大村家が、
勢力を争って戦を繰り広げていましたが、
お互いが平和的に境界を決定すべく、
天正14年(1586)に和議を行う事となり、
双方の代表者が舳ノ峰峠で落ち合い、
境界を決める会談を行いました。
そこで大村側は早岐までの領有を主張し、
松浦側は川棚までの領有を主張した為、… 続きを読む
大村三十七士の一人楠本正隆の墓。
「楠本正隆之墓(左)」、
「楠本家之墓(右)」。
大村藩出身の政治家楠本正隆の墓と、
楠本家(長男楠本正敏家族)の墓。
大村藩楠本直右衛門正式の長男で、
渡邊昇らと共に… 続きを読む
浦上街道の終点である時津湊は大村藩領で、
同藩の港である彼杵湊と連絡しており、
多くの物産品や人が運ばれました。
時津港周辺。緑の線が街道筋で、
小さな赤丸は茶屋跡と、
日本二十六聖人上陸の地。
「時津湊」。
埋立てで当時とは海岸線も変化。… 続きを読む
浦上街道の終点である時津湊は大村藩領で、
同藩の港である彼杵湊と連絡しており、
多くの物産品や人が運ばれました。
「茶屋(本陣)跡」。
大村藩の設置した御茶屋跡。
当時の面影のまま現存しています。
当初は現在の中央市場辺りに置かれ、… 続きを読む
浦上街道は長崎から時津湊に北上する街道。
日見峠を越える長崎街道が整備されるまで、
この街道がメインルートでした。
日本二十六聖人殉教地である西坂より、
浦上村等を経て時津川に沿って時津湊… 続きを読む
松原宿は長崎街道の19番目の宿場町。
彼杵宿と大村宿に挟まれていた為、
規模の小さな宿場であったようで、
本陣や脇本陣は指定されてはおらず、
大名行列や長崎奉行の一行は、
休憩のみに立ち寄っていたようです。
大村市松原本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが松原宿跡。… 続きを読む
大村宿は長崎街道の20番目の宿場で、
玖島城城下の北側に置かれていました。
大村市本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが大村宿跡。
「大村宿跡」。
大村宿の中心の本町はアーケード街。
立派なアーケードですが中は閑散として、
シャッター商店街となってる模様です。
時代なので仕方ありませんが、… 続きを読む