大村藩」タグアーカイブ

長崎県大村市 大村護國神社

大村藩4代藩主大村純長は、
徳川家歴代将軍を祀る神社として、
円融寺という天台宗の寺院を創建。
この寺が幕末に廃寺となって、
戊辰戦争戦没者を祀る招魂社が建てられ、
後に大村護國神社と改めました。… 続きを読む

長崎県東彼杵郡 彼杵宿跡

彼杵宿長崎街道の宿場町で、
嬉野宿との間には難所俵坂峠が控えており、
佐賀藩領と大村藩領の藩境。
平戸往還との追分でもあった他、
彼杵湊からの海路も整っていた事から、
大変に栄えた宿場町でした。… 続きを読む

長崎県大村市 本経寺/大村藩大村家墓所②

/②

つづき。


寛長院殿前筑刕太守徳山日廣大居士」。
5代藩主(17代当主)大村純伊の墓。
4代大村純長の次男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
治世では凶作や捕鯨の不振が重なり、
藩財政が逼迫していた為、
新田開発や年貢の増徴を行ったり、
家臣団をリストラしたりしていますが、
幕府普請などで好転することはなく、… 続きを読む

長崎県大村市 本経寺/大村藩大村家墓所①

①/

大村藩の初代藩主である大村喜前は、
熱心なキリシタン大名でしたが、
幕府の方針に従い家名存続の為に棄教し、
加藤清正の勧めで日蓮宗に改宗しています。
本経寺は大村家の菩提寺として建立され、
歴代藩主および一族の墓所となりました。


本堂」。… 続きを読む

長崎県大村市 五教館跡

現在の大村市立大村小学校の敷地内に、
大村藩の藩校五教館がありました。
九州では最も早く設立された藩校であり、
全国でも7番目に出来た藩校とされます。

4代藩主大村純長によって設立され、
校名は集義館静寿園と変更された後、
9代藩主大村純鎮によって五教館と改称。… 続きを読む

長崎県大村市 斎藤道場跡

玖島城下の武家屋敷通りのひとつ、
上小路斎藤道場跡があります。


斎藤道場(微神堂)」。
大村藩に招かれた剣術指南役斎藤歓之助は、
道場を開いて[微神堂]と名付けました。
藩が神道無念流続きを読む

長崎県大村市 玖島城跡

玖島城大村藩の藩庁。
大村藩の藩主家である大村家は、
鎌倉時代より地頭を勤め、
領主として地名の大村姓を名乗ったまま、
江戸時代も藩主家として存続しました。
もちろん稀な例長州藩を毛利藩と呼んだり、
薩摩藩を島津藩と呼んだりするような、… 続きを読む