長崎県大村市 本経寺/大村藩大村家墓所①

①/

大村藩の初代藩主である大村喜前は、
熱心なキリシタン大名でしたが、
幕府の方針に従い家名存続の為に棄教し、
加藤清正の勧めで日蓮宗に改宗しています。
本経寺は大村家の菩提寺として建立され、
歴代藩主および一族の墓所となりました。


本堂」。
現在の本堂は安永7年(1778)の火災後、
天明7年(1787)に再建されたもの。
本経寺は大村領内の日蓮宗の本寺とされ、
領内に8つの末寺を持っていたという。


大村家墓所」。
本堂向かって左側にある巨大な墓所。
歴代藩主や奥方、一族の墓が建ち並び、
その規模は大大名クラスのようで、
広さや墓碑はかなり巨大なもの。
とても3万石足らずの小藩とは思えません。


墓碑は統一されてはおらず、
霊屋付、五輪塔笠塔婆宝塔など、
大名墓の博物館のようでもあります。
この霊屋は初代藩主大村喜前のもの。


顯性院殿前丹陽太守
 普潤日照大居士(左)」、
峐徳院殿前信陽太守
 明翁絶哲口庎大居士(右)」。
初代藩主大村喜前と、
16代当主大村純伊の墓。
喜前は大村純忠の嫡男として生まれ、
父と同じくキリシタンでしたが、
日蓮宗に改宗して本経寺を創建しています。
改宗してからは厳しくキリシタンを弾圧し、
キリスト教を邪教と名指ししました。
3代前の当主純伊と墓が並んでいる理由は、
よくわかりません。


涅槃院殿日教居士」。
2代藩主大村純頼の墓。
初代喜前の長男として生まれ、
父と同じくキリシタンでしたが棄教。
幕府の命で長崎の教会を破壊し、
外国人宣教師を斬首刑していますが、
24歳で突然死してしまった為、
毒殺されたのではないかとも云われました。


常照院殿心月日秋大居士」。
3代藩主大村純信の墓。
2代純頼の長男として生まれますが、
父が早世してしまった為に、
僅か2歳で家督を相続していますが、
33歳で継嗣無きまま死去しています。


小佐々市右衛門前親と愛犬華丸の墓」。
純信の傅役で家老の小佐々市右衛門と、
その愛犬華丸の墓。
小佐々は純信に殉死していますが、
その荼毘の際に華丸は火中に飛び込み、
主人の後を追って焼け死んだという。
殉死した家臣は主君の傍に葬られますが、
この愛犬も主人の傍に葬られ、
小さいながら立派な墓が建てられました。
この墓は日本最古の犬の墓とされます。


顯了院殿前因州太守
 忠岳勇翁日長大居士」。
4代藩主大村純長の墓。
徳美藩2代伊丹勝長の四男として生まれ、
死去した3代純信の末期養子となり、
家督を相続しています。
藩校集義館を創設して学問を推奨し、
藩士子弟のみならず領民にも開放。
この集義館は九州で最も古い藩校となり、
後に五教館と改称されました。

つづく。
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