東京へ日帰り出張。
LCCを使って行きは一番早い便。
帰りは20時台の便で商談先は1ヶ所だけ。
あとはひたすら待つだけで、
同僚からは大変だねと言われますが、
どちらかと言えばラッキーだったりします。
7時に東京に着いて商談は昼一から。
現地へは1時間半と時間があったので、
横浜の領事館跡巡りをしたわけです
※前回の記事。
で、商談した後に時間があれば、
どこかに行ってみようと思っていました。
※仕事も十分成果は出してますよ(笑)。
ON/OFFの切り替えが大事なのです。
・・が、商談が16時まで掛かってしまい、
それほどは時間が無い。
この短時間で行ける幕末史跡は・・と、
池上本門寺に行く事にしました。
蒲田で東急線に乗り換えて2駅。
・・行けないことはない。
ギリギリまで悩んで、
「ええい!いったれ!」と蒲田で下車。
東急池上線に乗って池上駅に到着しま。
飛行機は20時15分。
時間的には充分にあるのですが、
日没が心配で早足で本門寺へ向かいます。
「池上本門寺」。
池上本門寺は日蓮聖人入滅の霊跡。
日蓮宗の七大本山のひとつで、
鎌倉時代より坂東武者の庇護を受け、
江戸期は諸侯の祈願寺として栄えました。
「本門寺大堂」。
加藤清正が母の七回忌追善供養で建立し、
その後は度重なる火災で焼失しており、
この本堂は4代目との事。
「細川家墓所」。
墓地には巨大な墓碑が多く建っています。
これらは大名家の墓で紀伊徳川家、
米沢上杉家、加賀前田家などなど・・。
戒名に[大姉]と付いた女性の墓が多く、
江戸屋敷に在住した正室のものでしょう。
肥後細川家の墓所もそのひとつですが、
ここに河上彦斎の墓もあります。
「河上彦齋先生碑」。
河上彦斎はるろうに剣心のモデルとされ、
ある程度の知名度はありますが、
剣心の異名人斬り抜刀斎の斎以外、
殆ど類似点が無いような気がします。
あえていうなら小柄で色白、
女性のような容姿ながら、
片手抜刀術の達人だったところでしょうか?
※るろうに剣心をそこまで知らないので、
他にもあるのかもしれません。
彼は佐久間象山を斬ったことでも有名で、
簡単に人を殺したと語られますが、
象山以外の殺人の確たる証拠はありません。
ですが多くの人が語っているのですから、
何人も斬ってるんじゃないかとは思います。
大村益次郎や広沢真臣の暗殺、
二卿事件などへの関与を疑われ、
捕縛されて明治4年に斬首されました。
これは墓ではなく慰霊碑。
墓はその奥の小さいものです。
「慶観法性信士(河上彦斎の墓)」。
事前の情報がなければ絶対見落とします。
大きい墓石の影ですし、戒名だけですし、
ほんとにこれ?と疑いたくはなりますが、
側面にしっかりと刻まれていました。
通称 高田源兵衛と刻まれています。
高田源兵衛は彦斎の明治期の名前。
象山の子である三浦啓之助が、
仇討ちを狙っているという事で、
高田源兵衛に改名したとされています。
五重塔左側の道をさらに奥に進むと、
西条藩松平家墓所へ。
「枢密顧問官正二位勲一等子爵
花房義質之墓(右)」。
西条藩松平家墓所への道の左手側。
花房義質は明治、大正期の外交官で、
岡山藩士で緒方洪庵の適塾出身。
駐露全権公使榎本武揚の補佐もしています。
「東光岡本柳之助墓」。
さらに先に歩いた左手側。
乙未事変で朝鮮王后暗殺を主導。
紀州藩士で幕末期は砲術を学び、
彰義隊にも参加しており、
西南戦争で各地を転戦し功を挙げました。
辛亥革命が起こると上海に渡り、
そこで客死しています。
さらに歩くと西条藩松平家墓所。
藩主家墓所なので記事を分けました。
※記事はこちら。
「力道山の墓」。
西条藩松平家墓所に隣接する力道山の墓。
僕の生まれる10年前に死去した人なんで、
そこまでよくは知りません。
アントニオ猪木の師匠でした。
「大村家旧藩士之墓」。
力道山の墓所の左後ろ側、
西条藩松平家墓所の裏手にあります。
周辺が大村藩大村家の墓所だったようで、
これは旧藩士らの合葬墓。
西条藩松平家の墓所が石柵付きなのに、
実高6万石に達する藩主家にしては、
※大村藩の表高は2万7000石。
こじんまりとしてるなぁと思ったら、
元々大きな墓所が改葬されたとのこと。
現在はこの合葬墓と大村家の墓、
大村純雄とその家族の墓のみです。
「正二位大村純雄之墓」。
佐土原藩主島津忠寛の次男で、
薩摩藩の藩費留学生として米国留学し、
元大村藩主大村純煕の婿養子になった人物。
実弟に城山で戦死した島津啓次郎がいます。
大村湾水産養殖所の設立に関わり、
大村の真珠養殖事業に貢献しました。
墓地の南側、隣接する法養寺に近い場所に、
比較的広い敷地のお墓があります。
「野口家之墓」。
加賀藩の勤皇志士野口之布の墓。
彼は昌平黌で高杉晋作と知り合ってます。
野口家は加賀六家の横山家の家臣で、
尊皇派弾圧によって永禁固処分となり、
その後の政情の変化により釈放。
北越戦争等に従軍して、
維新後は文部省及び司法省に出仕しました。
累代墓は霊標(法名碑)などで確認が必要。
「俗名 野口之布」と刻まれていました。
こういう大きな場所を訪問するには、
本来は事前のリサーチが重要。
今回は急遽行く事を決めたので、
スマホで調べて探すの繰り返しでした。
結局、ある程度は見つけられましたが、
全ては無理だったようです。
西郷勝両雄会見之処も忘れていましたし、
幕臣の墓もいくつかあったようでした。
タイムリミットとなったので、
今回は終了して帰りましたが、
時間が無い割には巡れたかなとは思います。
■関連記事■
・東京都大田区 池上本門寺/西条藩松平家墓所
池上本門寺にある西条藩松平家の墓所。
・熊本県熊本市 桜山神社
河上彦斎の墓碑もあります。
・長崎県大村市 玖島城跡
大村藩は鎌倉より大村を治めた名門。
・長崎県大村市 本経寺/大村家墓所①/②
歴代藩主の墓が改葬されています。