熊本県熊本市 桜山神社

桜山神社といえば、
下関の僕からすれば奇兵隊を祀る神社ですが、
熊本県にも別の桜山神社があります。

熊本にある桜山神社は、
神風連の乱の殉難者124名(+1匹)と、
肥後勤皇党の殉難者が合祀された神社。
明治18年、肥後勤王党と敬神党の遺族が、
ここに「誠忠之碑」と「百二十三士之碑」を建立し、
桜山同志会を組織したことがはじまりです。
その後、大正2年に桜山祠堂が建立され、
戦後の昭和23年に桜山神社に改称されました。
また、昭和53年には熊本在住の作家荒木精之が、
神風連資料館を建てています。

桜山神社」。
当日はあいにくの雨模様。
傘を差しつつ訪問しました。


宮部鼎蔵歌碑」。
鳥居を抜けた左側にある宮部鼎蔵の歌碑。
いざ子供 馬に鞍おけ九重の
  御はしの桜 散らぬそのまに

訳:いざ子供達よ 出立の準備をせよ
  宮中の桜が散る前に

この和歌は故郷を離れて京都に赴く際、
子供達を前に決意を詠んだもので、
下記の孝明天皇の歌に応えたものとされています。
矛とりて 守れ宮人九重の
  みはしの櫻 風そよぐなり

訳:矛を手に取って守れ宮人達よ
  宮中の御階の桜が風にそよいでいる



神風連資料館」。
熊本出身の小説家荒木精之が建てた資料館。
荒木は神風連研究家でもあります。
神風連烈士や肥後勤王党関係の遺品等、
約500点を展示していました。


顕彰 荒木精之大人」。
上記の神風連資料館の初代理事長荒木精之の碑。
荒木は神風連の研究と顕彰をライフワークとし、
神風連の乱を世に知らしめる事に貢献しています。


桜山神社 拝殿」。
大正2年建立の桜山祀堂だったもので、
現在は桜山神社となっています。
こちらの主祭神は天照大御神豊受大神で、
肥後勤王党と敬神党(神風連)の殉難者は、
合祀というカタチです。

で、いよいよ肥後勤王党と敬神党の墓域へ。

百二十三士墓所」。
山口県内に数多くあるような招魂場と同様に、
神風連の乱殉難者124名+1匹の墓が並んでいます。

肥後藩内の派閥であった勤皇党の中で、
明治政府に不満を抱く士族達により、
敬神党が結成されましたが、神道への傾向が強く、
周囲から「神風連」と呼ばれました。
彼らが政府の出した廃刀令に激怒し、
神風連の乱を引き起こします。

明治9年10月24日深夜。
熊本鎮台司令官種田政明宅、県令安岡良亮宅を襲撃し、
種田、安岡両名ほか県庁役人4名を殺害。
熊本鎮台(熊本城)を襲撃し砲兵営を制圧します。
しかし翌朝、熊本鎮台准参謀児玉源太郎らが駆けつけ、
政府軍は態勢を立て直して反撃を開始。
敬神党は鎮圧されました。

墓域に入ってすぐ右側にひとつだけ小さな墓があります。

義犬之墓」。
神風連士小篠源三の愛犬の墓。
神風連の乱に参加した小篠四兄弟は、
戦いに敗れた後、長男小篠一三と次男山田彦七郎は、
島原に潜伏しますが、再挙の見込み無しと帰郷して自刃。
三男清四郎と四男源三も同志と共に自刃しました。
源三の可愛がっていた虎という名の犬は、
源三が葬られた墓(本妙寺雲晴院)の前で、
餓死してしまったそうです。
墓碑裏面は「明治九年十一月十一日殉死」となっており、
主君(源三)に殉じた義犬ということになっています。


小篠源三之墓」。
こちらは飼い主の小篠源三の墓。
18歳で義挙に参加しています。


阿部以幾子之墓」。
敬神党阿部景器の妻で、肥後勤皇党鳥居直樹の妹。
夫の阿部が投獄された際は、夫の身の上と同様に、
盛夏に蚊帳も吊らず板の間で寝たという烈婦でした。
義挙が失敗に終わり、自刃を遂げる夫を見届け、
自らも後を追いました。


百二十三士之碑」。
神風連の乱殉難烈士123名の碑。
墓碑は全部で125基ありますが、
これは先ほどの義犬と阿部以幾子を含めた数。

「百二十三士之碑」の両脇には、
乱の首謀者2人の墓が建っています。

太田黒伴雄之墓」。
太田黒伴雄は神風連首領で、新開大神宮の神官。
肥後勤王党内でも、尊皇攘夷に固執した保守派に属し、
明治政府の欧米化政策を批判しています。
廃刀令と断髪令の不満により、敬神党に嘆願されて挙兵。
その際、宇気比(占い)によって神慮を得たとされます。
砲兵営の戦闘で重傷を負った太田黒は、
熊本城下の法華坂まで退いて民家を借りて自刃しました。


加屋霽堅之墓」。
加屋霽堅も太田黒と同じく保守派で、
幕末期は藩内佐幕派により投獄されています。
維新後は二卿事件に連座して投獄されるなど、
明治政府に批判的立場をとっており、
神風連の乱で太田黒と共に挙兵。
砲兵営の戦闘で戦死するのですが、
遺体は羽織を着けずにたすき掛けにされ、
多数の傷を負って両刀を握りしめた壮絶なものでした。


肥後勤王党墓所」。
神風連の乱殉難者の墓所よりさらに奥へ進むと、
肥後勤王党の殉難者の墓所があります。


高田源兵衛之墓」。
向かって左側の一番手前は、
高田源兵衛こと河上彦斎の墓。
いわずと知れた「人斬り彦斎」です。
彼の本墓は東京の池上本門寺(記事はこちら)。


宮部鼎蔵之墓」。
肥後勤皇党のリーダー的存在であり、
吉田松陰との交友でも知られ、
なにより池田屋事件での殉難者でもあります。


櫻園大人之墓」。
写真がボケてしまいましたが、
国学者林桜園の墓です。
肥後国学の大家で、私塾原道館は多くの人材を排出。
肥後の尊皇攘夷思想の精神的支柱であり、
肥後勤皇党や敬神党などに大きな影響を与えています。

下関の桜山神社と同様に、
多くの墓碑が建てられている神社ですが、
反乱軍である神風連を祀っていますので、
どちらかというと南洲墓地と似た感じですね。

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