フェートン号事件」タグアーカイブ

長崎県長崎市 魚見岳台場跡

文化5年(1808)にオランダ国旗を掲げ、
蘭船に偽装した軍艦が長崎港へ侵入し、
出迎えた蘭人2人を拿捕。
この船は英国軍艦フェートン号で、
蘭人拿捕後にイギリス国旗を掲げ、
水や食糧の補給を要求しました。
長崎奉行松平康英はこの要求を拒み、
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長崎県長崎市 菩提寺/深堀鍋島家墓所

菩提寺は長崎市深堀町にある曹洞宗寺院。
寛喜元年(1229)に三浦能仲が創建し、
始めは真言宗の寺だったようですが、
後に天台宗に改宗されており、
更に再び真言宗となってから、
現在の曹洞宗に改められたとのこと。


本堂」。… 続きを読む

長崎県長崎市 大音寺/松平図書頭墓所

大音寺寺町通りにある浄土宗の大寺院。
皓台寺本蓮寺と共に長崎三大寺とされます。


大音寺」。
本堂は原爆の被害にも耐えていましたが、
戦後の放火によって焼失しており、
現在の建物はその後に再建されたもの。… 続きを読む

長崎県長崎市 日見宿跡

日見宿長崎街道最後の宿場で、
街道最後で最大の難所日見峠の手前にあり、
旅人は日見宿で一息ついた後、
日見峠を越えて長崎へ入ったとされます。

その手前の矢上宿との距離は僅か2kmで、
宿泊する旅人は少なかったようですが、
峠越えの為に準備を整えたり、
峠越えを終えて休憩したようです。


長崎市宿町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが日見宿跡。

南西側より散策。

日見宿跡続きを読む

長崎県長崎市 長崎奉行所立山役所跡

本博多町に設置されていた長崎奉行所は、
寛文3年(1663)の大火で焼失してしまった為、
東役所西役所の2つに分けられました。
その後、東役所は立山に移転し、
本博多町には西役所のみが残され、
立山役所と西役所で奉行所が運営されます。


長崎奉行所立山役所跡」。… 続きを読む

佐賀県佐賀市 高傳寺/佐賀藩鍋島家墓所②

/②
つづき。


乗輪院殿全機良運大居士(中央)」。
2代藩主鍋島光茂の墓と、
正室虎姫及び継室甘姫の墓。
初代鍋島勝茂の四男鍋島忠直の長男で、
祖父勝茂の死去に伴い家督を相続。… 続きを読む

長崎県大村市 本経寺/大村藩大村家墓所②

/②

つづき。


寛長院殿前筑刕太守徳山日廣大居士」。
5代藩主大村純伊の墓。
4代大村純長の次男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
治世では凶作や捕鯨の不振が重なり、
藩財政が逼迫していた為、
新田開発や年貢の増徴を行ったり、
家臣団をリストラしたりしていますが、
幕府普請などで好転することはなく、… 続きを読む