大村三十七士の一人楠本正隆の墓。
「楠本正隆之墓(左)」、
「楠本家之墓(右)」。
大村藩出身の政治家楠本正隆の墓と、
楠本家(長男楠本正敏家族)の墓。
大村藩楠本直右衛門正式の長男で、
渡邊昇らと共に尊皇攘夷運動に邁進。
維新後に新政府に出仕し、
長崎府判事兼九州鎮撫使参謀助役を努め、
次いで外務権大丞、外務大丞を経て、
新潟県令に就任しました。
県政では多くの事業や改革を推進。
明治8年には内務大丞に転じ、
東京府権知事も兼任しましたが、
府政に専念して東京府知事になっています。
その後は東京市会議員、元老院議員、
衆議院議員等の議員活動に邁進。
明治29年に維新の功績により男爵となり、
後に錦鶏間祗候を拝命しました。
明治35年、死去。
長男の楠本正敏は貴族院男爵議員で、
都新聞(現東京新聞)の社長を務めています。
墓所は谷中霊園の乙7号甲1側。
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大村三十七士の招魂碑があります。
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大村藩大村家の居城跡。
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大村藩の藩校五教館の跡。