村田銃の開発者村田経芳の墓。
薩摩藩随一の射撃の名手でもありました。
「従二位勲一等男爵村田經房
室 久新子墓」。
陸軍少将村田経芳夫妻の墓。
薩摩藩士村田経徳の長男として生まれ、
西洋式砲術を学んで射撃技術を磨き、
外城一番隊長として戊辰戦争に従軍。
戦後は陸軍歩兵大尉に任官しました。
明治8年には欧州に派遣され、
射撃技術の向上と兵器研究に努め、
帰国後は陸軍戸山学校教官に就任。
銃の改良や射撃技術の向上にあたり、
明治13年には初の国産銃村田銃を開発し、
※十三年式村田銃。
その後も村田銃の改良に従事。
日清戦争での主力小銃となっています。
大正10年、死去。
墓所は谷中霊園の乙7号甲1側。
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村田経芳の生涯を題材とした小説。