長崎県平戸市 松陰関連史跡

吉田松陰は嘉永3年に平戸に留学しています。
(記事はこちら)。
50日余り滞在して平戸藩重臣葉山左内を頼り、
その蔵書を多数読破しました。


吉田松陰宿泊紙屋跡」。
松陰の平戸での拠点は紙屋という旅宿。
宿を探しますがなかなか見つからず、
最終的に葉山の紹介でここに宿泊しています。
滞在中は葉山の蔵書を借りて読む日々でした。
何故かアンパンマンの石像が・・・・。


平戸の街並み。
古い町並みをよく手入れしていて、
良い雰囲気を醸し出しています。


松浦史料博物館」。
平戸城が再建されるまでの陣屋であった場所で、
廃藩置県後は、元藩主家の邸宅になったという。

松浦史料博物館より北へ300m位の場所に、
砲術家豊嶋権平の道場(的場)の跡があります。

天山流砲術 豊嶋権平道場碑(豊嶋権平的場跡)」。
豊嶋権平は平戸藩の砲術師範で、
遥か高遠藩より招かれた人物。
城下に道場を開いて多数の門人を指導しました。
松陰は平戸に向かう途中の長崎で、
彼の訪問を受けており、
平戸滞在中は彼の蔵書も借りて読んでいます。


標的であった石には、
弾痕が多数残っていました。

松陰は葉山や豊嶋の蔵書を読んだ以外にも、
本来の理由である山鹿流軍学の家元への入門も、
その際に果たしています。

平戸城天守閣」に展示される入門嘆願書
吉田家の山鹿流来歴を説明し、
入門に際しての意気込みを記したもの。

4代藩主松浦重信山鹿素行と親交があり、
重信自らも門弟となりました。
その縁で素行の弟山鹿平馬を家老に召し抱え、
また、孫の山鹿高道も平戸藩に仕官しています。

積徳堂跡」。
平戸藩の山鹿流軍学の中心道場だった場所で、
今も当時の状態で残されています。
現在は民家で普通に人が住んでいるようですが、
標札を見る限山鹿さんが住んでらっしゃる様子。

元々は、山鹿素行が浅草田原町に開いた道場で、
孫の山鹿高道が仕官に際しここに移したもの。
当時の当主は山鹿万介で、
松陰は入門の許可を得ています。
とはいえ何か特別な教えは受けておらず。
滞在中は殆ど葉山の蔵書を読んで過ごしました。
重要なのは山鹿流の直系の門下となった事です。

平戸には今回行った松陰関連の他、
外国の商館関係の史跡も多くありますが、
今回は周りませんでした。
また、葉山左内邸跡を見つけられなかったので、
また近いうちに行くつもりです。

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