平戸城は平戸藩松浦家の居城で、
山鹿流軍学に基づいて建築された平山城。
元々慶長期に松浦鎮信が築城した城でしたが、
なぜか完成直前に自焼させてしまいました。
その後、江戸中期まで藩庁は陣屋でしたが、
元禄16年に幕府に築城を願い出て許され、
山鹿素行の実子山鹿義昌の築城指導で、
平戸城は再建されています。
以後は平戸藩の藩庁となりますが、
明治4年に取り壊されて廃城。
現在の場内の建物は、
昭和37年に平戸市によって復元されたもの。
「一の丸大手門跡(亀岡神社大鳥居)」。
現在場内には復元された城郭の他、
亀岡神社や亀岡公園があります。
訪問時は4月中旬で桜が咲いていました。
お城の桜っていいですね。
同じ桜なのですが特別な感じがします。
二の丸跡は参道を兼ねた公園になっており、
そこには多くの石碑が建てられていますが、
幕末のものは無い模様。
明治期に活躍した平戸出身者のものです。
「国士 浦敬一之碑」。
平戸出身の政治活動家で、
清国で諜報活動を行った人物。
明治22年に蘭州で消息を絶っています。
「菅沼貞風君追慕之碑」。
平戸出身の経済史家で、
過激な南進論を唱えていたようです。
フィリピンでコレラに感染して死去。
「志士沖禎介君」胸像。
平戸出身の諜報活動家。
ロシア帝国に捕獲され銃殺となりました。
「忠烈(北川丞と作江伊之助の碑)」。
肉弾三勇士の平戸出身の2人を顕彰したもの。
幕末ではないのでさらっと紹介。
他にもいくつかあったのですが、
よくわからず主なものを紹介しました。
・・で、公園の奥が亀岡神社です。
「亀岡神社」。
歴代平戸藩主を祀っていた霊椿山神社と、
他の三社が合祀されて遷座したのがはじまり。
平戸の産土神(守護神)とされています。
「中山愛子像」。
平戸藩9代藩主松浦清の娘で、
権大納言中山忠能の室。
彼女が忠能の娘中山慶子を産み、
慶子が宮中で孝明天皇に見初められて、
祐宮(明治天皇)を産みました。
つまり明治天皇のお婆ちゃんです。
このブログに度々登場する中山忠光の母。
「北虎口門」。
平戸城に唯一現存する木造建築。
本丸~二の丸間の通用門でした。
天守、狸櫓、見奏櫓、地蔵坂櫓は有料。
せっかくですので510円払って入城します。
「平戸城天守閣」。
正式名は沖見櫓。
藩主と家老の密談の場としてされたとされ、
一般藩士の立ち入りは制限していたという。
天守は殆ど利用されず象徴的な意味合い以外は、
ただの物置だったという認識でしたが、
ここは密談の場として使われていたのですね。
明治天皇の産着や鐶頭の太刀など、
お宝が展示されていました。
天守から望む平戸湾は素晴らしい景観です。
平戸といえば出島が出来る前より、
外国との交易で栄えた場所。
ここにポルトガルやオランダの船が、
たくさんやって来てたのでしょう。
「見奏櫓」。
復元は天守だけという城が多いのに、
天守以外にも多くの櫓を復元されています。
本来、城というのは天守だけでなく、
多くの建造物の集合体なわけですから、
とても良いと思いますね。
【平戸藩】
藩庁:平戸城
藩主家:松浦家
分類:6万1000石、外様大名
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