鹿児島県鹿児島市 桐野利秋開墾地跡

鹿児島へ仕事で日帰り・・・。
なかなかハードです。
しかも鹿児島へ行くときは、
何故か天気があまり宜しくない。
今回も生憎の模様だったので、
史跡でも寄れたという思いは崩れ去る。
でも現場から帰る途中に看板が見えたので、
雨の中ですが寄ってみました。


県道40号線沿いを進んでいると発見。
これは寄らないわけにはいきません。

西郷隆盛と共に辞表を提出した桐野利秋は、
この地に従僕一人を伴ってやって来て、
ここの開墾に精を出します。
身分や禄を失った不平士族達に対して、
食い扶持は自分でと実践したのでしょう。


桐野利秋開墾地跡」の説明板。
先ほどの看板から道に入ると建っています。


説明板に地図が載っています。
開墾地はこの奥のようですね。


桐野利秋田蘆跡」碑。
ここに桐野は小屋を建てて暮らしました。
桐野が西南戦争で戦死した後、
昵懇であった豪農山下孫兵衛は、
桐野がこの地で農耕した事を伝えたいと、
この碑を建立したようです。


桐野が開墾したとされる場所。
かつては水田だったようですが、
今は米は作られていないようです。
桐野は水田4反、畑5反ほどを拓きました。

全国的に名の知られた桐野ですので、
隠遁暮らしをしていても、
桐野を訪ねて来る人は後を絶ちません。
彼の許にそういう士が訪れると、
夜を徹して万国形勢を論じ合ったようです。
また佐賀の乱で落ち延びた石井武之助と、
徳久孝次郎を匿っていたようで、
官軍が捕縛にやって来ると、
その捕吏達を怒鳴って追い返したという。
後にこの2人は西南戦争で戦死しています。

桐野は禄5石の貧窮の家に生まれたため、
農民同様の生活を送っていたようですから、
農耕はお手の物だったのかもしれません。
陸軍中将にまで登り詰めた男が、
自ら鍬を握って農地を切り開くという事は、
なかなか出来るものではありません。
桐野利秋の人物像に関しては、
もう少し勉強せねばならぬところですが、
その一端に触れる事ができました。

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