おりょうさんについて①

①/

坂本龍馬の妻として知られる楢崎龍は、
京都の青蓮院宮の侍医の娘で、
比較的裕福な家庭で育ったという。
安政の大獄で父が捕えられ、
文久2年に病死すると生活は困窮。
妹が女郎屋に売られそうになったところを、
啖呵を切って助けた武勇伝も伝わります。
ヤクザに啖呵を切ってどうにかなるとは、
とても思えないのですが、
お龍の性格を語る逸話として知られます。

後に龍馬と知り合って妻となりますが、
龍馬が各地を奔走している間は、
伏見の寺田屋に預けられています。
そこで中村半次郎に夜這いをかけられたり、
近藤勇に貢がれたりしたらしい(本人曰)。


一般的に知られるお龍の写真。
実は別人というのが濃厚な説で、
実際は子爵土井家の妾の女性という。

寺田屋で龍馬や三吉慎蔵が襲われた際、
のままで危険を知らせた話は有名。
薩摩でハネムーンをしたことも知られます。

龍馬と海援隊が参加した幕長戦争の際には、
長崎の小曾根英四郎家に預けられ、
戦争終結後に下関の本陣伊藤家にて、
龍馬と暮らすようになります。
龍馬が凶刃に倒れると、
三吉慎蔵が三ヵ月ほど面倒を見て、
その後は土佐の坂本家に送られています。

しかし坂本家で義兄夫婦とソリが合わず、
三ヶ月で坂本家を出奔。
妹の夫菅野覚兵衛に世話になりますが、
※元海援隊。
覚兵衛の海外留学で居られなくなり、
京都に戻りました。

龍馬の墓近くに家を借りて住み、
貧困に困っているとある五条の公卿が、
米を送ってくれるようになりますが
やがてその公卿から、
毎月送るのは手がかかるから、
いっそ屋敷に住まないか?
」と提案される。
それが嫌で京都を逃げ出し、
西郷隆盛に頼ろうと東京へ移動。

しかし西郷は職を辞して鹿児島に帰る直前。
お龍に20円を渡し帰ってしまいます。
仕方なく元海援隊の官僚や、
龍馬の知人の許を転々。
元海援隊士の間ではお龍の評判は悪く、
その素行が問題視されます。

後に商人西村松兵衛と再婚して、
西村ツルと改名。
横須賀で暮らし明治39年に死去しました。

土陽新聞坂崎紫瀾の「汗血千里駒」が、
巷で大人気となった為、
忘れられた存在だった坂本龍馬の名が、
広く世間に知られるようになると、
安岡秀峰川田雪山がお龍を訪ね、
当時の事を聞きにやってきます。

つづく。
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