長崎県佐世保市 江迎宿跡

平戸往還平戸藩主松浦家参勤交代や、
長崎警備の際に使用された街道。


佐世保市江迎町周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが江迎宿跡。

平戸往還は平戸城の対岸日の浦から、
江迎佐々早岐を経て、
彼杵長崎街道に合流する約14里の道に、
本陣が6か所置かれました。
そのひとつが江迎本陣山下庄左衛門邸で、
6つの本陣中で唯一現存しています。


江迎本陣跡(松浦公本陣跡)」。
江迎宿の本陣には、
造酒業の山下庄左衛門の屋敷が充てられ、
参勤交代や長崎警備の際に使用されました。
元禄元年開業の山下庄左衛門の造酒屋は、
現在も潜龍酒造株式会社として、
創業当時から継承する伝統的な技法で、
酒造りを続けています。

本陣南東の江迎行政センター裏手の公園に
吉田松陰腰掛石があります。

江迎中央公園」。
江迎小学校跡地が公園となったものですが、
跡地の石垣がかなり年期が入っており、
小学校のものとは思えませんが、
創立は明治7年(当時長坂小学校)なので、
小学校の創立時に組まれたものでしょう。


千灯籠タワー」。
江迎千灯籠まつりに使用されるタワーで、
三角は当地出身の徳田真寿に因みます。
徳田真寿は明治期に財を成した人物ですが、
彼は天下の奇人として知られており、
紋付きの洋服シルクハット
懐には特大懐中時計を携帯し、
旅先では全て一銭銅貨で支払ったという。
何故だか三角の物をこよなく愛し、
茶碗御膳等の日用品を、
全て三角のものを使用していたようで、
自分の墓も三角の墓にしたという。
今もたまにいますよね。そういう変な人。


校庭跡の公園の奥に腰掛石がありました。
公園には千灯籠タワーや野外ステージ、
公衆トイレなどが設置されています。


吉田松陰先生の石」。
松陰は平戸遊学で、
早岐宿を出発して佐世保浦に至り、
雨の中を江迎に入りましたが、
道中は山道坂道で難儀したようです。
江迎に入ってからも宿が無く、
あちこち探してようやく庄屋の家に宿泊。
この石はその庄屋宅の門前にあった石で、
庄屋宅に辿り着いてヘトヘトの松陰が、
この石に腰を下ろしたと伝えられるもの。

腰掛石は古い時代の偉人のイメージですが、
菅原道真とか空海など。
幕末の人物のものもあるのですね。
西郷どんの腰掛石なんてのもあるようです。

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