早岐宿は平戸往還の宿場町で、
有田街道との分岐点でもありました。
承応2年(1653)に干拓工事で開かれ、
鉤形(枡形)を配した町割りが作られて、
駅宿を形成したようです。
また早岐瀬戸が佐世保湾と大村湾を繋ぎ、
その海運の要所としても栄えたようで、
多くの物産品が売買されたという。
佐世保市早岐周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが早岐宿跡。
有田街道の分岐はよくわかりませんでした。
「戸ノ上石畳」。
平戸往還で唯一残る立派な石畳。
田子の浦交差点近くの路地より散策します。
石畳の坂を下ると早岐宿の街中。
往時は賑やかだった筈ですが、
現在は店舗もなく空地もあります。
「鉤形(桝形)」。
道を進むと最初の鉤形へ。
かまぼこ店や金物屋がありました。
鉤形の北側の駐車場へ。
早岐川の対岸に本陣跡があります。
「本陣跡」。
寛文期(1661~73)に造酒屋谷村家が建築し、
平戸藩に寄贈した藩直営の御茶屋の跡。
往時はこの辺りに橋が架かっていたという。
幕末には藩営から谷村家に戻ったようで、
建物は昭和初期に解体されており、
跡地は村上産婦人科となっています。
参勤交代や長崎警護の際には、
この本陣に藩主が必ず宿泊したとのこと。
隣には脇本陣もあったようですが、
こちらも解体されています。
街道筋に戻って鉤形を進む。
この辺りは昔ながらの店舗もあるようで、
古い建物も点在。
突き当りは早岐起業会社があった場所で、
※元平戸藩士牧山有恪が開業した銀行。
親和銀行早岐支店を経て、
現在はマンションになっています。
「東橋」。
早岐川に架かる橋で大きな鉤形の一部。
橋を渡って街道はすぐ右折します。
この辺りよりスナック等の店舗が点在。
古い旅館もあります。
突き当りは更に鉤形。
水路の石垣は宿場時代の遺構?
「早岐一里塚跡」。
ビジネスホテル前にある一里塚跡。
この辺りもスナックが点在しています。
更に行くと県道222号線に合流。
これを越えてJR早岐駅前へ。
「藤津屋別館(小松屋跡)」。
旅籠小松屋があった場所で、
現在は旅館藤津屋別館となっています。
吉田松陰は嘉永3年9月12日に、
この小松屋に宿泊したとのこと。
小森川を越えて南下し住吉神社へ。
「住吉神社」。
古くから彼杵郡の宗廟とされており、
平戸藩松浦家の保護と崇敬を受た神社。
初代平戸藩主松浦鎮信は、
文禄の役の出征の際に戦勝を祈願し、
陣太鼓や武具を奉納しました。
更に10代藩主松浦清は扁額を奉納し、
11代藩主松浦曜は絵馬を奉納。
江戸時代を通じて別段の崇敬を得ています。
「早岐脇本陣表門」。
手水舎となった脇本陣の表門。
脇本陣の建物は平成5年に取り壊され、
表門が移築されたようです。
一見違和感はありませんが、
そのまま門扉が移築されており、
よくみると中々シュールな感じが面白い。
平戸往還の宿場町
■関連記事■
・長崎県東彼杵郡 彼杵宿跡
平戸往還の終点。
・長崎県佐世保市 舳ノ峰番所跡
平戸藩と大村藩の口番所跡。