※15日より平戸での修行が始まります。
修業とはいえ、葉山佐内の蔵書を借りて読むだけ。
山鹿流の家元山鹿萬介にも入門しますが、
萬介は高齢であり教えを乞うことも出来ません。
とはいえ葉山佐内の所蔵の珍しい書物を、
数多く読むことが出来た事は、
松陰にとって相当の実となっています。
50日あまりの滞在の後、11月6日に平戸を離れました。
(記事はこちら)
九州遊学の道筋6
①11月6日。
午後より平戸湾を飛舟で出発。
河内浦を右に見て進む。
夜五つ(午後8時)頃、楠泊に到着。
②11月7日。
夜明けに舟で出発し、寄船を越えて針尾瀬戸を通り、
内海に入って時津に到着。
※ここまで平戸より毎月運行する定期船の旅。
船首の度島宇三郎と、宇三郎の姪を含む3人の操る船で、
客は天草西法寺の僧と松陰のみ。
ここまで船中での宿泊でした。
③11月8日。
朝、船を降りて陸行。浦上を経て長崎へ向かう。
昼時に長崎長州藩邸に到着し、吉村年三郎に会う。
郡司覚之進が崇福寺にいるというので、
会いに行くが既に帰っていた。
高島浅五郎を訪ね、吉村を伴って崇福寺に宿を求めるが、
断わられたために中村仲亮の家に泊まる。
※この後、約1ヶ月間長崎に滞在。
この間は友人宅や著名人宅を訪問したり、
書物を読んだり、長崎の各所を見学したりしています。
この長期滞在の理由は、
遊学の延長(島原、熊本への遊学)の許可待ちでしょう。
続く。
■関連記事■
・吉田松陰の北浦巡視①/②/③/④/⑤/⑥
嘉永2年の北浦巡視の行程。
・吉田松陰の東北遊学①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨/⑩
嘉永4年の東北遊学の行程。
・吉田松陰2度目の江戸遊学①/②/③/④/⑤/⑥
嘉永6年の江戸への行程。