原田宿より田代宿へ向かう際、
最初の難所となっていた三国坂。
筑前、筑後、肥前の三国の境で、
争いの絶えなかった場所でした。
この為に当事者間で協議が行われ、
三国の境には国境石を建立。
長崎街道をゆく人々が、
これを目に留していたようです。
筑紫野温泉アマンディ周辺。
緑の線が長崎街道で赤丸の位置が国境石。
「三國境石」。
元々は三国割塚という塚があったとされ、
これが崩落しかけていた為、
筑前国山口村大庄屋、原田村庄屋、
筑後国三沢村庄屋、
肥前国城戸村庄屋が協議を行い、
文化2年(1805)に建てられた三国境石。
温泉施設の裏手の山にありますが、
非常に難関な場所にある為、
訪問はあまりお勧め出来ません。
「従是東筑前國」。
三国境交差点側にある国境石。
二本の石柱 が背中合わせとなっており、
裏側には[従是西筑前國對州領]と刻まれ、
福岡藩と対馬藩の国境に置かれていました。
往時は東側約15mにあったとのことで、
交差点の反対側にあった模様。
「従是北筑前國」。
温泉施設敷地内に建つ国境石。
こちらはかなり巨大なものです。
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