長崎県長崎市 諏訪神社

諏訪神社は弘治元年(1555年)に、
長崎為英が建立した事が起源で、
京都の諏訪神社から分霊を奉祀したという。
※東松浦郡の諏訪神社を勧請した説も。
後に大村純忠長崎イエズス会に寄進し、
長崎がイエズス会領となってしまい、
領内の寺社は全て破壊されており、
諏訪神社も他と同様に破壊されています。
江戸時代になると長崎奉行長谷川権六や、
長崎代官末次平蔵の支援を受け、
初代宮司青木賢清が諏訪神社を再興。
同時に森崎神社住吉神社が合祀され、
長崎の産土神となりました。
長崎の代表的な祭りのひとつ長崎くんちは、
この諏訪神社の神事であり、
諏訪神社本宮にある三体の御神体が、
大波止御旅所お下りした後、
また本宮にお上りになるというもので、
様々な演し物が神前に奉納されるとのこと。
一度見てみたいものですが、
人混み嫌いな僕には相当の覚悟は必要。


表参道」。
馬町交差点より始まる193段の石段。
5つの巨大な鳥居が並びます。
一の鳥居は天保6年(1835)年に建立され、
始めは青銅製であったとのこと。
台風で倒壊したり金属需要で撤去されたりと、
数度の再建があったようですが、
現在は鉄筋コンクリート製となっています。
※一の鳥居以外は石鳥居。


まよひ子志らせ石」。
石段途中にある石柱。
明治12年に当時の長崎警察署の警部らが、
詣客で賑わう往来で泣き叫ぶ子を憐れに思い、
石柱を建てて親と子の安心を念願したもの。
子と逸れた親は碑の北面のたづぬる方に、
住所と子の名前を書いて貼り、
迷い子を見つけた人は南面のおしゆる方に、
子の特徴等と共に自分の名と住所を貼り、
親が探しに来るのを待ったという。
現在の迷子センターそのものですね。

更に石段を上る。

祓戸神社」。
五の鳥居を越えた左手にある神社。
祓戸神社は大きな神社の摂社に多く、
本殿に参る前に穢れを除き清められます。
手水舎のようなものですね。

ここに福澤諭吉の像があります。

福澤諭吉先生之像」。
長崎三田会(慶應大学同窓会)の建立。
諏訪神社と福澤の接点は不明ですが、
福澤は長崎に留学していますので、
諏訪神社に参拝はしている筈。


長坂」。
参道石段の最後に待ち構える急な石段。
その上には回廊付きの大門が聳えています。


拝殿」。
本殿祝詞殿拝殿は安政4年に火災で焼失。
孝明天皇の勅諚で元治元年に再建が開始され、
明治2年に諸殿が完成しています。

諏訪神社には森崎神社住吉神社が合祀され、
本殿には建御名方神八坂刀売神の他、
森崎神社の伊邪那岐神伊邪那美神
住吉神社の住吉三神が祀られており、
 厄除け縁結び海上守護に御利益があり、
総氏神様として現在も崇敬されています。

上記のように幕末期は火災の復興中で、
有名志士が参拝したという記録は見つからず。
※火災前の嘉永3年に吉田松陰が参拝。
とはいえ慶応3年の長崎くんちの期間中、
坂本龍馬が長崎に滞在していました。
賑わいは聞こえていたと思われますが、
当時はイカロス号事件海援隊が疑われて、
何度も取り調べを受けていた時期。
結局はお咎めなしとはなりましたが、
充分には楽しめてはいないでしょう。

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