天領である長崎に置かれた牢獄は、
古くは桜馬場や南馬町にあったとされますが、
元和6年(1620)にキリシタン教会跡地に移転。
敷地を練塀で囲んで獄舎が建てられ、
拷問所、吟味所、牢番長屋等が付属したという。
「長崎市役所別館(桜町牢跡)」。
桜町牢跡は現在長崎市役所別館となっており、
その面影は皆無となっています。
この桜町牢には一般庶民を入れる牢屋と、
士分や神官、僧侶等を入れる揚屋に分けられ、
その扱いも区別されていたという。
また隠れキリシタンの投獄も多く行われ、
拷問もここで行われましたが、
処刑は西坂処刑場で行われました。
明治維新後は桜町監獄と改称。
西坂の処刑場が廃止になった事により、
この監獄内で処刑も行われるようになり、
明治10年の西南戦争の際には、
鹿児島県令の大山綱良が収監されて、
ここで斬首されています。
その後の明治14年に片淵へ移転。
長崎監獄に改称していますが、
明治41年に長崎監獄は諫早に移転した為、
片淵の監獄は長崎監獄片淵分監となり、
後に浦上岡町を経て浦上西町に移転し、
長崎刑務所浦上刑務支所となっています。
そして昭和20年8月9日。
長崎に原子爆弾ファットマンが投下され、
爆心地から最も近い建物であった為、
浦上刑務支所は一瞬にして破壊され、
受刑者と職員135名全員が絶命しました。
これが平和公園となっている場所です。
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