本博多町に設置されていた長崎奉行所は、
寛文3年(1663)の大火で焼失した為、
東役所、西役所の2つに分けられています。
その後に東役所は立山に移転し、
本博多町には西役所のみが残され、
立山役所と西役所で運営されました。
西役所のあった場所は現在の長崎県庁。
「イエズス会本部
奉行所西役所
海軍伝習所 跡」。
長崎県庁脇の緑地にある碑。
嘉永6年に幕府大目付格筒井政憲が、
ロシア使節プチャーチンを引見しています。
安政2年には長崎海軍伝習所が設置され、
蘭人教官を招いて幕臣や各藩の藩士達に、
航海術や造船学、医学、数学等が講義され、
勝海舟や中島三郎助等が学びました。
元々はポルトガル人が初めて来日した際、
教会を建てて本部とした場所でしたが、
キリスト教が禁止された為に、
ここにあった教会は破壊されています。
「長崎海軍伝習所絵図」。
当時の海軍伝習所の様子。右上が出島。
その後、築地に軍艦操練所が開設されると、
財政面から海軍士官養成機関は一本化され、
安政6年に海軍伝習所は閉鎖されました。
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