萩と下関を結ぶ赤間関街道。
北浦道筋、北道筋、中道筋の3ルート中で、
最も距離が短いのが中道筋でした。
その中間地点が四郎ヶ原で、
何らかのいわくがありそうな名称ですが、
その由来は、
[四郎という者が住んでいた平原]とのこと。
四郎という人物が何か成したわけでもなく、
たまたま住んでいただけでそう呼ばれ、
ついに現在も残る地名となったようです。
四郎ヶ原周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが四郎ヶ原宿の辺り。
四郎ヶ原は宿場として栄え、
吉田松陰も九州へ遊学に向かう際、
旅の最初の宿泊地としました。
「四郎ヶ原宿跡」。
古い家屋が残る四郎ヶ原宿跡。
宿場の雰囲気の残る小さな集落です。
「諸隊(膺懲隊)宿陣跡」。
慶応元年の長州内訌戦の際に、
保守派とのにらみ合いを続ける諸隊は、
各地に点在して宿営していましたが、
四郎ヶ原宿には膺懲隊と御楯隊が宿陣。
写真の家に膺懲隊が宿陣したようです。
「本陣河崎家」。
本陣を務めた庄屋河原家の屋敷。
大名の宿泊施設のイメージがありますが、
参勤交代のルートでない街道にもあります。
これは高級藩士や使者等の宿泊施設として、
その地域の名主や庄屋などの屋敷が、
本陣として指定されたからとのこと。
「吉田松陰投宿之碑」。
本陣河崎家の前にある碑。
松陰が四郎ヶ原宿のどこに宿泊したのか、
正確には判っていないようですが、
泊まったのは河崎家ではないようです。
「討奸檄の立札」。
本陣河崎家の隣の敷地に立てられた立札。
慶応元年1月に諸隊が配布した檄文が貼られ、
その説明が書かれています。
遊撃軍250余名が萩に向かって進軍した際、
この四郎ケ原宿に1月12日に到着し、
人馬所に立札を揚げたとされます。
■赤間関街道/萩往還の宿場町
■関連記事■
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吉田松陰は四郎ケ原で宿泊しています。
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明木宿は萩に入る前の最後の宿場。
・山口県長門市 俵山温泉
温泉は西の横綱とも呼ばれています。
