赤間関街道は長州藩の本拠地である萩と、
経済的重要拠点である赤間関を結ぶ街道で、
幾多の藩士や志士達が通った道でした。
三隅、湯本、俵山、田部を通る北道筋、
絵堂、秋吉、美祢、四郎ヶ原を通る中道筋、
北道筋から海沿いを通る北浦道筋と、
赤間関街道には3つのルートが存在ます。
俵山温泉は湯治場として栄えていましたが、
開湯は平安時代にまでさかのぼり、
白猿が見つけたという伝説もあるという。
江戸時代に入ると藩直営の湯治場となり、
藩主も湯治に訪れていました。
温泉学者松田忠徳氏はこの俵山温泉を、
全国平成温泉番付で西の横綱としており、
抗酸化作用の極めて高い泉質としています。
「俵山温泉の街並み」。
小さな旅館が並ぶ温泉街。
約20~30軒の旅館があるようですが、
ここには大きな温泉ホテルは皆無。
露大統領プーチンが泊まった湯本温泉は、
大きな温泉ホテルが数件ありますが、
こちらにはそういったものはありません。
外湯のひとつ「町の湯(左)」。
俵山温泉は全国的に珍しい外湯スタイル。
殆どの旅館は内湯を持っておらず、
湯治客は外湯に入りに行きますので、
夏には浴衣姿も見ることができるでしょう。
車1台がやっと通れるような細い道。
もうひとつの外湯[白猿湯]。
俵山温泉には先程の町の湯の源泉と、
川の湯源泉の2つの源泉があり、
こちらは川の湯源泉を使用しています。
油谷温泉のような美人の湯ではなく、
効能は神経痛、筋肉痛、リウマチ等。
これは成分の違いなんでしょう。
温泉街といえば川の側。
どこを見ても風情があります。
見渡すかぎり建物は旅館ばかりで、
娯楽と呼べるようなものは無い。
純粋に湯治だけをする為だけの場所です。
いやそれが良いのかもしれませんね。
1週間湯治すればどんな病気も治りそう。
幕末とは関係ないのですが、
近隣の麻羅観音へ行ってみます。
「麻羅観音」。
大内義隆が陶晴賢に攻められ自刃した際、
末子歓寿丸は女装して山中に匿われますが、
翌年にここで殺害されてしまいます。
襲撃者は男児であった証拠として、
男根を切り取り持ち去ったとされ、
これを里人が憐れんで社を建て、
歓寿丸の霊を慰めたという。
名称からもわかるように、
切り取られた男根にちなんています。
小さな社殿が建てられていますが、
ここは少々品の無い場所。
ウチの子供らはまだ小さいので、
何もわかっていませんが、
もう少ししたら連れて来られません。
僕はこういう品の無いものは大嫌い。
ですが社殿の中のノートの書き込みには、
[子供ができますように]
[二人目が授かりますように]
[子供を授かることができました]など、
真面目な書き込みばかり。
僕らも5年前に知っていれば、
きっと参拝していたと思います。
ここの御利益とは違いますが、
子供達の健康をお祈りしました。
■赤間関街道/萩往還の宿場町
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