秋吉宿は赤間関街道中筋の宿場で、
絵堂宿と河原宿の間にありました。
美祢市秋芳町秋吉周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが秋吉宿跡。
北側が上宿、南側が下宿だったようです。
「秋吉宿跡」。
秋吉宿は家数35軒に人夫8人、
馬が5疋が常備されていたという。
古い家屋もある程度は残っているようで、
往時の風情は残っています。
「秋吉八幡宮」。
宿場の北側にある八幡宮。
由緒によると平安前期の嘉祥年間、
百済国帝が大津郡の海岸に漂着して、
ここに遷住していたとされ、
卒去後にその霊を祭って総鎮守とたとの事。
その後の鎌倉前期に宇佐八幡宮より勧請し、
八幡宮として相殿したとされ、
現在の社殿は明治30年に再建されたもの。
「文久の石灯籠」。
秋吉八幡宮の大鳥居前の石灯籠は、
幕末の文久元年に造られたもので、
秋吉宿の常夜灯となっていましたが、
昭和43年に現在地に移転されました。
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