中山忠光の逃避行③

つづき。
//③//

常光庵で潜伏していた中山忠光でしたが、
常光庵のある上畑村は戸数十数戸の山里。
川で釣り糸を垂らすだけしか出来ず、
血気盛んな忠光には耐えられなかった様子。
下関外国艦隊が迫っていると聞き、
7月26日に攘夷の先鋒として戦おうと、
百姓家の裸馬を盗んで脱走を試みますが、
従者の国司直記はこれを追って、
黒井村辺りで忠光に追いついて捕まえ、
危険であると説得しています。
下関市豊浦町 黒井村
この日は庄屋道源孫三郎宅に滞在し、
その後も常光庵には戻らず、
大河内山本五兵衛宅に宿泊したようです。
※この辺りの動向がイマイチ不明。
 道源宅から一旦に戻ったようですが、
 黒井で書かれた大庭伝七宛書状も残り、
 そのまま道源宅に滞在していた説、
 大河内に滞在した説があり、
 正確な事はよくわかりません。

 下記の地図は上畑には戻らず、
 黒井から大河内へ行き、
 そのまま滞在したという過程の行程です。



大河内から黒井への行程。
(7月26日~8月5日あたり)
常光庵での潜伏は嫌だと駄々をこねたのか?
とにかく上畑の潜伏は終了しました。
そこから川棚三恵寺までの消息は不明。

下関に違い場所だと説得したのか?
温泉もあって賑やかだと説得したのか?
とにかく潜伏先は三恵寺に決定しました。
下関市豊浦町川棚 三恵寺
しかし三恵寺での滞在はたった1日。
多少賑やかだと思って来てみれば、
山奥じゃないかと騙されたと思ったのか、
三恵寺の麓にある地蔵堂に移ったようです。


大河内から川棚(三恵寺)への行程。
(8月5日~8月15日あたり)

つづく。
//③//

■関連記事■
下関市豊浦町北宇賀上畑 常光庵
 中山忠光の潜伏地のひとつ。
下関市豊浦町 川棚温泉
 長府毛利の奥座敷。

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