下関市豊浦町 川棚温泉

川棚には青龍が澄む沼がありましたが、
大地震でその沼が熱湯に変わってしまい、
その青龍は死んでしまったという。
人々は沼を埋め立てて田畑とし、
死んだ青龍権現として祀っていましたが、
幾年月が過ぎた後に誰かが沼地跡を掘ると、
温泉が湧き出たのが始まりとされます。

また別話では三恵寺怡雲和尚の枕元に、
薬師如来が現れて病を治す温泉と、
古来よりこの地に棲んでいた青龍を告げ、
温泉を掘るように霊告があり、
これに従って和尚が温泉を掘り当てたとも。


御国廻御行程記 川棚」。
江戸時代初期には既に温泉街だったようで、
長府藩唯一の温泉地として保護されました。
身分によって規制や制限はありましたが、
藩主から領民に至るまで湯治に訪れたという。


妙青寺」。
長門国守護大内持盛により開かれた寺院。
先代大内盛見の菩提寺として建立されたもので、
元は国清寺と称していました。
その後大内義隆大寧寺の変で殺され、
家臣の杉連緒がその菩提を弔う為に改修し、
それと同時に瑞雲寺と改称。
江戸時代に入り長府藩がこの地を治めると、
初代藩主毛利秀元の実姉妙青大姉を弔う為、
瑞雲寺の伽藍を再度改修して、
その際に妙青寺に改められています。


本堂」。
本尊は行基作と伝わる観世音菩薩
長府藩3代毛利綱元は僅か4歳で家督を相続。
以後は56年の長き治世を藩政に尽くし、
名君のひとりとされていますが、
病を得た為に川棚温泉で湯治を行いますが、
その際に妙青寺を本陣としました。
温泉に浸かった綱元はたちどころに回復。
感激した綱元は薬師院を建立し、
藩主専用の御殿湯御茶屋を設置します。
これにより殿様の湯と知られるようになり、
川棚温泉は藩に手厚く保護され、
厳格な入湯制度も設けられました。


「雪舟庭園」。
本堂裏にある雪舟作の池泉回遊式庭園。
池は「心」の字の形をしているという。


上湯跡」。
江戸時代の川棚温泉には2つの施設があり、
町の湯(上湯)と無田の湯(下湯)となっていました。
この上湯の方が庶民の湯であったようで、
現在ぴーすふる青竜泉として営業され、
共同浴場となっています。


下湯(御殿湯)」。
下湯には御殿湯及び御茶屋が設置され、
藩主専用の湯殿が設けられました。
こちらは武士僧侶の湯であったようで、
湯殿を含む四つの湯坪が設けられて、
身分によって入湯出来る湯が定められました。
維新後は大衆浴場となって庶民にも開放され、
川棚に訪れた井上馨によって、
下湯は青龍泉と名付けられていますが、
後に閉鎖されて青龍泉は上湯に引き継がれ、
跡地はロハス農園の直売所となっています。

川棚温泉の名物といえば瓦そば
大ヒットしたドラマ「逃げ恥」で登場し、
大きく知名度が上がっていますが、
これは西南戦争の際に西郷軍の兵士たちが、
瓦で野草、肉等を焼いて食べた話に参考に、
旅館の店主高瀬慎一が開発したもの。
川棚温泉では外せませんね。

■赤間関街道/萩往還の宿場町

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