阿川は油谷湾南西部の阿川湾にあり、
湾曲する砂浜に沿うように街道が伸び、
そこに宿場が設置されていました。
一門家老家の阿川毛利家の本拠でもあり、
宿場の南側には居館が建てられています。
豊北町阿川周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが阿川の街並み。
「阿川浜」。
白砂が美しい阿川湾内。
阿川ほうせんぐり海浜公園ビーチとして、
夏は海水浴場となっています。
防波堤のおかげで波も穏やか。
ほうせんぐりはこの辺りの昔の呼び名で、
法師ぐり、放生礁が変化したものとされ、
当時沖田川河口にあった岩に因みます。
※後に海岸整備の影響で砂に埋もれますが、
公園整備の際に掘り起こされており、
現在は海岸に設置保存されています。
(写真は撮り忘れ)
「阿川の街並み」。
湾の曲線に沿う様に街道が伸びでおり、
商店や宿が軒を連ねていました。
古い家屋もある程度は残っており、
当時の名残を残しています。
「阿川毛利氏館址」。
南側にJR山陰本線を越えた先にある碑。
阿川毛利家の屋敷がありました。
近くには郷校時習館址の碑もあり、
武家町は街道筋の南側であった模様。
阿川毛利家の墓所もあります。
「阿川漁港」。
漁港は湾の北西側の岬にあります。
藩政時代も漁村であったようで、
当時は40艘以上の大小漁船がいたという。
また阿川では砂鉄や砂金も採れたようで、
その積み出しも行われていました。
裏手にも小さな湾があります。
吉田松陰は嘉永2年の北浦巡視の際に、
岬の先端の日和山に登り、
本浦の東西と今浦の台場を眺めました。
※写真の山は日和山ではありません。
■赤間関街道/萩往還の宿場町
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