粟野は粟野川の河口にある集落で、
古来より粟を主に栽培していたという。
串山が海風を遮っていた為、
風待ち港としても適しており、
海運の拠点ともなっていたとされ、
長府藩の御用蔵もあったようです。
※粟野は長府藩の領地。
また赤間関街道北浦道筋の追分でもあり、
宿場も置かれていました。
豊北町粟野周辺。緑の線が萩みちで、
青い線が阿川みち、茶色の線は滝部みち。
青でぼかした辺りが粟野村。
現在は粟野橋が架けられていますが、
当時は舟渡しであったようです。
ただ藩主や巡検使が通る際には、
臨時に舟橋が架けられたとの事。
「粟野の街並み」。
空地は少なく住宅が並んでいますが、
見る限り古い家屋はありません。
「粟野湊」。
小規模の漁業が行われているようで、
小さな漁船が碇泊しています。
かつては向津具半島の久津や大浦まで、
連絡船が通っていましたが、
平成7年に廃止されてしまいました。
■赤間関街道/萩往還の宿場町
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粟野は長府藩領でした。