豊北町阿川にある阿川八幡宮。
創建は鎌倉時代の弘長年間とされ、
阿川の開発と共に創建されたようで、
領主の阿川氏三家、大友家、
そして阿川毛利家の崇敬を受けました。
「阿川八幡宮」。… 続きを読む
「阿川毛利家」タグアーカイブ
山口県岩国 通化寺/繁沢元氏墓所
吉川元春次男繁沢元氏は阿川毛利家の祖で、
始め仁保隆在の婿養子となり仁保家を相続。
実父元春や兄吉川元長と共に戦い、
多くの戦いで活躍しました。
後に娘たやの婿神田元忠に家督を譲り、… 続きを読む
山口県山陽小野田市 高泊開作五挺唐樋
高泊開作は高泊湾を干拓したもので、
寛文8年(1668)の汐止めによって完成。
400町歩の規模をもつ大規模の開作(干拓)で、
長州藩当職毛利就方(阿川毛利3代)が発起し、
船木代官楊井春勝が工事を監督しました。
※享保19年(1734)時の高泊開作は、
4449石余もあったという。
「高泊開作五挺唐樋」。… 続きを読む
下関市豊北町 阿川毛利家墓所(再訪)
阿川にある阿川毛利家墓所には、
6代以降の当主が葬られていますが、
下関市豊北町 阿川毛利家墓所
14代(及び16代再襲)毛利親彦の墓は、
死去が廃藩後であった為が、
歴代当主の墓所には葬られずに、
萩の椿東の山間に葬られていました。
そして今年(令和5年)の5月。
その遺骨が阿川に改葬されて、
新しい墓が建てられたとの事なので、
阿川毛利家墓所に再訪してみます。
「… 続きを読む
山口県長門市 大寧寺墓地/阿川毛利家墓所
毛利家一門の阿川毛利家は、
吉川元春の二男繁沢元氏の系譜。
始め仁保隆在の養嫡子となって跡を継ぎ、
仁保元棟を名乗っていましたが、
仁保の名跡を娘婿の神田元忠に譲り、
自らは繁沢元氏と名乗りました。
関ケ原の戦い後に毛利家が減封されると、
玖珂郡に3000石を与えられて移り、
大坂冬の陣… 続きを読む
下関市豊北町 阿川宿跡
阿川は油谷湾南西部の阿川湾にあり、
湾曲する砂浜に沿うように街道が伸び、
そこに宿場が設置されていました。
一門家老家の阿川毛利家の本拠でもあり、
宿場の南側には居館が建てられています。
豊北町阿川周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが阿川の街並み。
「阿川浜」。
白砂が美しい阿川湾内。
阿川ほうせんぐり海浜公園ビーチとして、… 続きを読む
下関市豊北町 阿川毛利家墓所
阿川毛利家は吉川元春次男毛利元氏の系譜。
長州藩一門家老第5席目の家格です。
阿川は長州藩の北西に位置する地で、
交通の便も良くはない辺境の地ですが、
その7000石程度の石高の割に、
家臣185人を抱える大所帯でした。
阿川毛利家は密貿易を行っていたともされ、
その為か海外情勢にも熟知していたという。… 続きを読む