高泊開作は高泊湾を干拓したもので、
寛文8年(1668)の汐止めによって完成。
400町歩の規模をもつ大規模の開作(干拓)で、
長州藩当職毛利就方(阿川毛利3代)が発起し、
船木代官楊井春勝が工事を監督しました。
※享保19年(1734)時の高泊開作は、
4449石余もあったという。
「高泊開作五挺唐樋」。
この干拓の樋門は当初は3挺でしたが、
幕末の安政4年(1857)に5挺に増設。
翌年には排水口周辺の岩盤を除き、
排水効果を高めるようにしました。
石柱間の水門5列に招き扉を設置し、
干満作用で自然開閉するようになっています。
現在の新しい樋門が建設されるまで、
改良前を含めて300年以上機能したという。
裏手側。
干拓は古来より行われていたようで、
長州藩以外もこれを実施しており、
決して珍しい事ではありませんが、
長州藩はこれを積極的に行っています。
実高100万石ともされる長州藩では、
この干拓地を含めた新田開発等により、
少しずつ実高を上げていったのでしょう。
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干拓事業を担当した船木宰判。
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干拓事業は阿川家3代毛利就方の発案。