山陽小野田市西高泊に勘場屋敷があります。
高泊開作事業の際に建てられた役宅で、
船木代官楊井三之允が起居したという。
勘場は業務を行う場所ですので、
正確には勘場ではなく代官役宅なのですが、
役宅で業務も行っていたのでしょうし、
他に勘場があった形跡はない。
なので勘場兼役宅が正しいのかもです。
「勘場屋敷」。
この建物は開作事業が終了されると、
功績のあった庄屋目左権衛門が拝領。
以後は目家(後に作花姓に改称)の住居となり、
代々ここを住まいとしています。
その後に7代権右衛門が作花姓に改め、
以後は庄屋作花家の住居となりますが、
現在は空き家の模様。
中を覗くと荒れ果てていますので、
何らかの手を加える必要があるでしょう。
■関連記事■
・山口県山陽小野田市 高泊開作五挺唐樋
屋敷は干拓事業の為に建てられたもの。
・山口県宇部市 船木宰判勘場跡/御茶屋跡
干拓事業を担当した船木宰判。

コメントありがとうございます。
御子孫様だったのですね。
墓碑が風化で読めなくなっていたのですか?
長年の疑問が解決出来たなら幸いです。
「花を作る」に通じる素敵な御苗字と思いますので、
末永く続いていくことお祈り申し上げます。
私も勘定屋敷から少し離れた場所に住んでいます同じ姓をもっている者です、たまたまネットで故郷を検索していて興味深くみていました、目から作花と言う姓に変えたのが7代目権右衛門と書いてあり、墓参りに行く時にある墓の名前を見て長年分からなかった名前が権右衛門と分かり長年の思いが解決しました。
これからも関心を持って見守りたいと思います。