山口県長門市 湯本温泉

湯本温泉の開湯は室町時代前期で、
大寧寺定庵禅師が神託を受け、
源泉を発見したとされます。
山口県で最も古い歴史をもつ温泉であり、
庶民、武士、藩主に至るまで湯治を行い、
明治時代以降は全国から客が訪れました。


湯本温泉」。
音信川大寧寺川に合流する手前に、
多くの温泉旅館が並んでいます。
高度成長期は多くの観光客を呼びましたが、
バブル以降は客足が年々途絶えてきた為、
長門市が官民一体となって再建を推進。
共同浴場のリニューアル、音信川の整備や、
川床の設置、各旅館のリニューアルなど、
温泉街全体が新しくなりました。

かつては共同浴場が2つ存在し、
庶民の入浴できる恩湯と、
武士、僧侶のみ入浴できる礼湯があり、
明治以降はどちらも入浴出来ましたが、
礼湯は温泉街再建に伴い平成31年に閉湯。
現在は恩湯のみ利用されています。

恩湯」。
泉源の真上に建てられた温泉施設。
令和2年にリニューアルされました。
岩盤から湯が湧き出る様子が見れる温泉で、
住吉大明神像がその奥に鎮座しています。
ややぬる目の39℃という事ですが、
ウチの子供らには丁度良い湯加減でした。
湯舟が少し狭いのが気になりますが、
休憩所は広く取られています。


礼湯泉源」。
住吉大明神化身であった老人が、
大寧寺住職から法衣を贈られたお礼に、
この温泉を湧出させたとされ、
その由来から礼湯と呼ばれていました。
俗人禁制の札が掲げられていたようで、
武士や僧侶しか入れなかったとのこと。
残念ながら平成31年に閉湯。


路地には古い家屋も残っており、
宿場であった名残も感じられます。
藩士らの日記等を読んでいると、
深川(湯本)で湯治したなどの記録が、
たまに見受けられます。
当時は俵山温泉のような外湯制で、
旅亭から恩湯や礼湯に入りに行っており、
その際は鍵湯という制度が採用され、
五寸程の線香の燃やしているの間に、
温泉がその旅亭専用として使えたようで、
他の客が入れないようになっていました。
現在の家族風呂のような感じでしょう。
※鍵湯がどちらの湯でも出来たのかは不明。

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