下関市豊田町 西市

西市(西ノ市)は赤間関街道北道筋の市宿で、
室町時代より市場が興った場所でした。
木屋川上流よりの産物が集められて、
月に6度も市が開かれたようで、
江戸後期には日本海響灘瀬戸内から、
海魚が運ばれて魚市場も発達して、
近隣の農村へ魚介類を提供していたという。


豊田町西市周辺。緑の線が北道筋。
青でぼかした辺りが西市です。


道の駅 蛍街道西ノ市」。
県道34号線沿いにある道の駅
なかなかに活気のある道の駅で、
イベント事も多く開催されています。
そして何よりここの温泉施設蛍の湯は凄い!
仕事と趣味で日本全国を旅行し、
その分多くの温泉地に行っていますが、
実は地元のここが一番ではないかと思う。
トロトロの湯は肌を若返らせてくれます。


蒸気機関車SL101号機(通称:ポッポ)」。
大正~昭和中期に、
小月ー西市を結んだ長門鉄道
その路線を走ったという蒸気機関車で、
廃止後に東洋レーヨン滋賀工場が購入し、
工場内で使用された後、
宝塚ファミリーランドで展示されて、
後に京都府与謝野町加悦SL広場で常設。
その後の閉園に伴って無償譲渡され、
西市に今年帰って来たという。


豊田ホタルの里ミュージアム」。
西市は蛍の里としても知られ、
季節には幻想的な光景を魅せてくれます。
この博物館は蛍をテーマとしていますが、
良い意味で変態的な学芸員さんにより、
マニアックな虫などの企画展が行われ、
全国的に知られるようになりました。


木屋川」。
俵山から西市、菊川吉田を流れ、
小月から周防灘に注ぐ二級河川
この辺りでホタルが乱舞します。

木屋川を渡って西市宿跡へ。

西市の街並み」。
かつての市場や宿場の中心地は、
そのまま西市の町の中心地となった為、
当時の建物は点在する程度です。


西市本陣中野家門」。
本陣を務めた中野半左衛門邸の門。
藤原秀郷の流れを汲む公家の末裔で、
小早川家家臣を経て長府藩の家臣となり、
後に帰農して西市で酒造業を営みます。
幕末の当主中野半左衛門景郷は、
木屋川の通商事業を完成させて、
大量の物資の輸送を実現した他、
薩摩藩との交易も実施して富を得ており、
長州藩の尊攘志士にも援助しました。
また中山忠光とも親しく接しており、
忠光の最初の長州下向では、
中野邸に滞在した後に下関に移っており、
天誅組の変後に忠光が長州に逃れた際は、
潜伏の資金面での援助も行っています。
下関の白石正一郎とは商売上仲が悪く、
白石は中野の事を大奸物と表現。
自身が計画した薩摩藩との交易を、
中野が横取りした事を恨んでいました。
※中野家は長州藩の御用商ですが、
 白石家は清末藩の御用商であった為、
 白石家より中野家が選ばれたとも、

 中野家の献金によるものともされます。
中野家は公家の末裔で代々勤皇家。
それ故に尊皇攘夷運動や討幕運動を、
その財力をもって支援しており、
長州藩や明治維新に大きく貢献した末に、
明治7年に71歳で死去しました。

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 北道筋にある湯治場。