下関市豊浦町 黒井村

黒井村川棚温泉南西の集落で、
赤間関街道北浦道筋に沿ってが開かれ、
街道の宿駅となっていたという。


下関市街より県道244号を北上。
平成の大合併前の下関市豊浦町の旧境に、
八本松峠駕籠建場跡があります。

溜池北側の道路脇の山道へ。
車で走っていると気付き難いです。
この辺りには大きな川はなく、
多くの溜池が多く造られていました。


少し入ると旧街道筋。
このまま北へ300m程度歩くと、
一里塚があります。


八本松峠 駕籠建場跡」。
山道を入って南側に行った場所。
八本松峠は鉄道国道が開通するまでは、
人や牛馬が行きかう峠だったという。
ここは領内巡視の殿様一行小休止場所で、
現在は木々に囲まれていますが、
当時は見晴らしの良い場所でした。


黒井一ノ瀬一里塚」。
から21番目、
赤間関から5番目の塚とされ、
北浦道筋に唯一残る一里塚であるという。
塚の上部には椿が植えられています。

黒井一ノ瀬一里塚より北へ約2km。
黒井村の集落へ。

黒井村の市街地付近。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが黒井村のあった場所。


黒井市跡」。
黒井村の街道筋には市が開かれ、
かつてはヨシノヤオオツヤエベスヤ等、
道の両側に商家が並んでいたという。
市は200m程度だったようです。


集落は街道筋の西側に広がっています。
常光庵で潜伏していた中山忠光は、
元治元年7月26日に下関で戦おうと、
百姓家の裸馬を盗んで脱走を試みますが、
従者の国司直記はこれを追って、
黒井村辺りで忠光に追いついて捕まえ、
危険であると説得しました。
国司の説得に応じた忠光は、
黒井村の庄屋道源孫三郎宅に宿泊。
道源邸で大庭伝七宛の書状を書いており、
攘夷戦に参加したい旨を綴っています。

この忠光の滞在した庄屋道源邸は、
街道筋より200m西にあったようですが、
どこにあったのかは不明。
旧家が残っているわけではないようです。
湯玉の庄屋石川良平の実家ともされますが、
正確な事はよくわかりません。

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