中山忠光の逃避行②

つづき。
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安岡村田庄三郎宅を出た中山忠光一行は、
安岡浦からで北上して、
船酔いに苦しみながら湯玉浦に到着。
湯玉の庄屋石川良平宅に宿泊しました。
下関市豊浦町 湯玉浦/庄屋石川邸跡
※石川家は宇賀(湯玉)本陣を務め、
 後に良平の娘は山縣有朋に嫁いでいます。



安岡浦から湯玉浦への行程。
※日付に諸説あり(7月2~3日あたり)

村田家や石川家では名や身分は伏せられ、
高貴な人のみが伝えられていたようで、
明治以降に忠光だったと知ったようです。
石川邸には2~3日滞在していたようで、
その後に宇賀本郷大専寺に向かいました。
下関市豊浦町宇賀本郷 大専寺

7月9日。湯玉から上畑の常光庵への行程。

大専寺に潜伏先を求めた一行でしたが、
寺は正面が海に面して潜伏先に不向き。
そこで大専寺の僧侶が上畑に出張する際、
宿泊に使っていた常光庵をあてがわれ、
そこを潜伏地と決定しています。
下関市豊浦町北宇賀上畑 常光庵

つづく。
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