山口県大島郡 小松浦

周防大島に橋が渡されたのは昭和51年で、
それまでは渡船が唯一の交通手段でした。
小松浦は周防大島の北西に位置し、
古くから島の玄関として発展。
江戸時代には浦民18名が渡船業を請負い、
更には北前船も多く寄港しており、
島全体の積出港にもなっていたようです、
屋代川河口付近は塩田として開発され、
製塩業も盛んに行われていたようで、
島一番の賑わいを魅せていました。


小松浦」。
石垣で造られた広い波止場が残り、
往時は多くの船が集まっていました。
遠くに見えるのは航海練習船大島丸で、
その先に大島商船高専があります。
慶応2年の大島戦争では、
大島宰判勘場のある久賀村が壊滅し、
大島奪還後に宰判勘場が小松に移転。
現在の大島商船高専の敷地に、
宰判勘場が建てられました。
この為に更に小松は発展したようで、
現在も島の中心は小松となっています。

吉田松陰は嘉永6年の江戸遊学の際、
2月2日に小松浦に寄港していますが、
碇泊した船内で一夜を過ごしたようで、
上陸はしなかった模様。
明け方に出航して新湊に向かいました。

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