二十一回猛士の説を読んでみる


二十一回猛士吉田寅二郎松陰
そもそも松陰も彼の号なのですが、
この二十一回猛士もよく使用されました。
他の人物の号の多くは2文字か3文字で、
このような6文字は余り見かけません。
しかもカッコ悪い
※個人的意見です・・。
やはり松陰の方がしっくり来ます。
ただ松陰という号の由来は諸説あり、
有力な説として尊敬する高山彦九郎の諡が、
松陰以白居士」だった為とされますが、
故郷の松本村にちなんだものともされ、
更に嘉永6年に会った儒者後藤春蔵も、
[松陰]の号を使用しているので、
何等かの関係があるかもしれません。
それに対して二十一回猛士の方は、
二十一回猛士説」という文章が存在し、
その由来が書かれています。

二十一回猛士説

吾以庚寅年、生于杉家、己長嗣吉田家、

 吾は庚寅の年に杉家に生まれ吉田家を継ぐ。
甲寅年、有罪下獄梦、
 甲寅の年に罪有りて獄で夢を見る。
有神人與以一刺文曰二十一回猛士、
 神が現れ二十一回猛士の一刺を与えた。
忽覺因思、杉宇有二十一之象、
 夢から覚めて考えると杉は21の画数。
吉田宇亦有二十一回之象、
 吉田の画数も21。
吾名寅、々属虎、々徳猛、
 吾の名は寅で虎と同様でその徳は猛。
吾卑微而孱弱非以虎猛為師、
 吾は卑しく孱弱だが虎の猛を以って、
 師とするにあらざれば、

安得為士、吾生来臨事、為猛几三矣、
 どうして士となることができよう。
 吾は生来事に臨んで猛を成す事三度。

而或獲罪、或取謗、今則下獄、
 而して或いは罪を得て、或いは捕縛され、
 今は獄に下っている。

不能復有為、而猛之未達者、
 復することが出来ず、猛の未達は、
尚有十八回、其責亦重矣、
 なお18回もあり、その責もまた重い。
神人蓋懼其日益孱弱、
 神人蓋しその日に益々孱弱に、
日益卑微、終其不能遂、
 日に益々卑微にして、
 遂げられない事を恐れ、

故以天意啓之耳、
 故に天意を以って聞こえる。
然則吾之奮志并気、豈得已呼哉、
 然らば吾の蓄えた気を、
 どうして已むを得んや。


以上が「二十一回猛士説」ですが、
要は夢で神様が現れて名付けてくれたと。
考えたら杉も吉田も21画で、
寅二郎は[]だからその徳は[]だ。
二十一回猛を成さねばならぬのだと、
少々中二病のように考えたわけです。
これは馬鹿にしている訳ではなく、
純粋な心でこのように考えれるのは、
彼が常人ではないという事です。
あと18回の猛を成す事はなく、
松陰は安政の大獄で刑死しました。
うろ覚えではありますが、
司馬遼太郎が何かの小説で革命について、
三世代が必要だと書いていた気がします。
一世代が思想家であり、
二世代が革命家で、
三世代が政治家だったと思う。
これについては成程と思います。
この一世代が松陰であり、
二世代が久坂玄瑞高杉晋作で、
三世代は伊藤博文井上馨とのこと。
二世代以降が猛を成したとすれば、
18回くらいは簡単に超えてるでしょう。
どの事件が18回に当てはまるのか、
勝手に考えてみるのも面白そうですね。

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