大阪府大阪市 本傳寺/谷家墓所

大阪市北区兎我野町にある本傳寺に、
新選組で活躍した谷三兄弟の墓所があります。
兎我野町は昔仕事で通っていた場所ですが、
風〇ラ〇ホ飲食店の多い歓楽街で、
随分久しぶりに来てみましたが、
それ程雰囲気は変わっていませんでした。
そんな兎我野町ではあるのですが、
区域の南の通りが寺町通りという事もあり、
町内には8軒の寺院が存在しています。


本傳寺」。
本傳寺は日蓮宗の寺院で、
文禄年間(1592-1596)に創建されました。
元禄年間(1688-1704)、文化年間(1804-1818)、
天保年間(1830-1844)に本堂は再建されており、
昭和20年には空襲で全焼してしまった為、
現在の本堂は鉄筋RC造となっています。

谷家備中松山藩士の家系でしたが、
何らかの不祥事で家名は断絶となっており、
大坂に移り住んでいたとされます。
長男谷三十郎は父谷供行より剣術を学び、
その腕を生かして南堀江町道場を開き、
生計を立てていたとされますが、
三兄弟で新選組に加入して頭角を現し、
※加入時期は不明。
三十郎は元治元年に副長助勤を経て、
八番組長に抜擢されており、
翌年には七番組組長を務めました。
次男の谷万太郎は主に大坂に駐屯し、
大坂屯所の責任者となっています。
三男の谷周平(千三郎昌武)は、
入隊後に局長近藤勇養子となっており、
近藤と共に池田屋事件等に参加。
それぞれが地位を得ていました。
また慶応元年に三十郎と万太郎は、
新選組隊士正木直太郎阿部十郎と共に、
ぜんざい屋に潜伏する土佐浪士を襲撃。
土佐勤皇党残党大利鼎吉を討ち取っています。
ぜんざい屋事件


谷累代之墓」。
谷家の累代墓。
この墓は次男万太郎の系譜の墓で、
墓碑右側面の[自證院本覺日遊居士]が、
万太郎の戒名のようです。
左側面に谷三十郎と谷昌武(周平)の名があり、
三兄弟の墓となっています。
弟周平が近藤の養子となったこともあり、
新選組内での地位は安泰でしたが、
その事を鼻にかけて嫌われていたともされ、
三十郎は慶応2年に祇園社石段下で頓死。
これは暗殺ではないかともされていますが、
脳卒中ともされていて真相は不明です。
万太郎は大坂に居た事もあり、
新選組からはフェイドアウトしたようで、
維新後は道場を経営したようですが、
後にこれを畳んで商家の用心棒となりました。
明治19年に51歳で死去しており、
遺骸はこの本傳寺に埋葬されています。
周平は三十郎の死後に養子縁組を解消。
それでも新選組に残り鳥羽伏見の戦いに参戦。
新選組が江戸に移った際に脱走したようで、
故郷に帰って親戚を頼っています。
後に山陽鉄道に就職して生計を立て、
明治34年に死去しました。

万太郎については遺骨墓のようですが、
三十郎に関しては遺骨は無いと思われます。
周平は遺骨が入れられているかもですが、
その辺はよくわかりません。
それでも墓が存在することに意味があり、
彼らが生きた証になっていると思います。

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京都府京都市 八坂神社
 三十郎が頓死したとされる旧祇園社。
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 万太郎が駐屯した大坂屯所跡。
京都府京都市 池田屋跡
 池田屋事件の現場。

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