吉田松陰」タグアーカイブ

吉田松陰の浦賀行①

①//

吉田松陰ペリー浦賀に来航した際、
浦賀に赴いて見物しました。
今回はこれを追ってみようと思います。

———————————————
6月4日、晴。
渡邊春汀を訪ねるが不在。
※渡邊春汀は杵築藩の蘭医。続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑥

/////⑥
つづき。

その事の敗れの本を尋ぬれば、
櫓ぐひなき計りにてかくなりゆけり。
因って思ふ。左傳某の役の敗を記して、
鯵絓りて止まるとやらあり。
大軍の敗もかかる小事に因ることなり。… 続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記⑤

////⑤/
つづき。

夜は暗し、道は知れず、
大いに困迫する間に夜は明けぬ。
海岸を見廻れども我が舟みえず。
※夜は暗く道は判らず、
 大いに困っている間に夜は明け、
 海岸を見渡しても我が舟は見つからない。

因って相謀りて曰く[事がここに至れば、
奈何ともすべからず、
うろつく間に縛せられては見苦し
続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記③

//③///
つづき。

夷人吾が二人の手をとり梯子段を上る。
此の時謂へらく、舟に入り夷人と語る上は、
我がは如何様にもなるべしと。
我が舟をば顧みず夷船中に入る。
※夷人は我ら2人の手を取り梯子段を上る。続きを読む

吉田松陰の三月二十七日夜の記②

/②////
つづき。

岸を離るること一町許り、
ミシシッピー舶へ押行付く。
是れまでに舟幾度か廻り廻りてゆく。
※岸を離れること100m余り。
 ミシシッピ号へ辿り着く。
 ここまでに舟は何度も迂回を繰り返した。

腕脱せんと欲す。
ミシシッピー舶へ押付くれば、
舶上より怪しみて… 続きを読む