吉田松陰の三月二十七日夜の記②

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つづき。

岸を離るること一町許り、
ミシシッピー舶へ押行付く。
是れまでに舟幾度か廻り廻りてゆく。
※岸を離れること100m余り。
 ミシシッピ号へ辿り着く。
 ここまでに舟は何度も迂回を繰り返した。

腕脱せんと欲す。
ミシシッピー舶へ押付くれば、
舶上より怪しみて燈籠を卸す。
(燈籠はギヤマンにて作る、
形圓き手行燈の如し
蝋燭は我が邦と異ならず、
但し色甚だ白く心甚だ細し)
※腕がちぎれそうに痛くなった。
 ミシシッピ号に近づくと、
 船員が怪しんで燈篭を下ろしてきた。
 (燈篭はガラスで作られており、
  形の丸い手行燈のようであった。
  蝋燭は我が国のものと変わらないが、
  色は白く芯もかなり細かった)。

火光に就きて漢字にて、
[吾ら等米利堅に往かんと欲す、
君幸に之を大将に請へ
]と、
認めたる書付を興ふ。
一夷携へて内に入る、老夷出でて燭を把り、
蟹文字をかき、此の方の書付と共に返す。
※明かりを頼りに漢字にて、
 [我らはアメリカに行きたい。
 これを船長に伝えて欲しい]と、
 書いた書き付けを渡す。
 一人の夷人がこれを持って中に入り、
 年老いた夷人が出てきて灯りを握り、
 蟹文字を書いて先程の書き付けと共に、
 返してきた。
※※蟹文字=英文字(横書き)の事。

蟹文字は何事やらん讀めず。
夷人頻りに手眞似にして、
ポウパタン舶へゆけと示す。
吾れ等頻りに手眞似にて、
バツテイラにて連れ往けと云う。
※蟹文字は何と書いてあるか読めず、
 夷人はしきりに手真似を行い、
 ポーハタン号に行けと示す。
 我らもしきりに手真似を行い、
 ボートで連れて行けと頼んだ。

※※バツテイラ(Bateira)は軍艦搭載のボート。
夷叉手眞似にて往けと示す、巳むことを得ず、
叉舟に還り力を極めて押行くこと叉一丁許り、
ポウパタン舶の外面に押付く。
※夷人らは手真似で行けとしつこいので、
 仕方なく舟に戻って、
 舟で漕ぎ出して100m余り進み、
 ポーハタン号の外面に取り付いた。 

此の時澁生頻りに云う、
[外面に付けては風強し、内面に付くべし]と。
然れどもかい自由にならず、
舟浪に隨ひて外面につく。
舶の梯子段の下へ我が舟入り、
浪に因りて浮沈す。
※この時に渋木生は頻りに言った。
 [外面は風が強く危険なので、
 内面に付いた方が良い]と。
 しかし櫂は自由とならず、
 舟は波に流され外面に付いた。
 夷船の梯子段の下に我が舟は入り、
 波に漂って上下する。

浮ぶ毎に梯子段へ激すること甚だし。
夷人驚き怒り、木棒を携へ梯子段を下り、
我が舟を衝き出す。
此の時予帯を解き立かけて着け居たり。
※上下する度に梯子段にぶつかり、
 これに驚いた夷人は怒って、
 木の棒を持って梯子段を下ると、
 我が舟を突いて離れさせる。
 この時に予は刀を置いていた。

舟を衝き出されてはたまらずと
夷舶の梯子段へ飛渡り、
澁生に(ともつな)をとれと云ぶ。
澁生纜をとり未だ予に渡さぬう内、
夷人叉木棒にて我が舟を衝き退けんとす。
澁生たまり兼ね纜を捨てて飛渡る。
已にして夷人遂に我が舟を衝き退く。
時に刀及び雑物は皆舟にあり。
※舟を離れさせられてはまずいと、
 夷船の梯子段に飛び渡り、
 渋生に友綱を取れと言った。
 しかし夷人は木の棒でまた突いたので、
 渋生もたまりかねて飛び乗った。
 刀や持ち物は皆舟の中にあった。


つづく。
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