吉田松陰の三月二十七日夜の記⑤

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つづく。

夜は暗し、道は知れず、
大いに困迫する間に夜は明けぬ。
海岸を見廻れども我が舟みえず。
※夜は暗く道は判らず、
 大いに困っている間に夜は明け、
 海岸を見渡しても我が舟は見つからない。

因って相謀りて曰く[事がここに至れば、
奈何ともすべからず、
うろつく間に縛せられては見苦し
]とて、
直ちに柿崎村名主へ往きて事を告ぐ。
※2人で相談して曰く[事は失敗に終わった。
 どうする事も出来ないだろう。
 うろついている間に捕まっては、
 とても見苦しい事となるだろう]と、
 直ちに柿崎村の名主に出頭。

遂に下田番所に往き、更に對し囚奴となる。
ウリヤムス日本語を使ふ。
誠に早口にて一語も誤らず、
而して吾れ等の云う所は、
解せざる如きこと多し。
蓋し渠れが狡黠ならん。
是を以って云はんと欲すること多く言い得ず。
※次に下田奉行所に出頭する事となり、
 それから囚人となった。
 ウィリアムズは日本語を使う。
 誠に早口で一言も間違わない。
 しかし我らの言う事は、
 判らない事が多かったようだ。
 更に彼は狡猾な人である。
 この為に伝えたい事が言えなかった。

僕事大略かくの如し。
畢竟夷舶へ乗移る際少し狼狽す、
故に我が舟を失ふ。若し舟を失はず、
亦要具を携え舶に登らば、後に心がかりなく、
舶中へ強ひて留まることを得、
我が文書等を夷人に示し、
叉舶中の様子を見んことを求め、
海外風聞などを尋ぬる間に夜は明くべし。
※僕の事件はかくの如し。
 結局夷船に乗り移る際に狼狽し、
 この為に我が舟を失ってしまった。
 もし舟を失うことはなく、
 また荷物を持って船に乗れば、
 心掛かりなく船に残る事ができて、
 我が文書等を夷人に示して、
 また船の中の様子を見る事を求め、
 海外の情報等を尋ねている間に、
 夜は明けていただろう。
 
夜明くれば白昼には歸り難しと云いて
一日留まらば、其の中には必ず熟談も出来、
計自ら遂ぐべし、假令事遂げずとも、
夜に至り陸に返り急にさらば、
かかる禍敗には至らぬなり。
※夜が明ければ明るいうちは帰れないと、
 一日留まっていれば深い話も出来て、
 計画も成功しただろう。仮に失敗しても、
 夜になって陸に戻ってくれば、
 このような事には至らなかっただろう。


つづく。
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