東京都台東区 現龍院墓地/内田正信墓所

現龍院墓地にある内田正信の墓所。
彼は3代将軍徳川家光に引き立てられ、
800石の旗本から大名となった人物で、
家光に殉じて切腹して果てています。


理明院殿光徳徹宗大居士」。
小見川藩内田家初代内田正信の墓。
正信は800石の旗本内田正世の次男で、
幼少期より優秀であったとされ、
寛永7年(1630)より家光に仕えました。
奥小姓御手水番と昇進しており、
家光の信任篤く1000石を加増。
更に寛永16年(1639)に8200石を加増され、
1万石の所領を得て諸侯に列し、
同時に御小姓組番頭となっています。
慶安2年(1649)には御側出頭に任じられ、
これに加えて5000石を加増。
余程の信頼を得ていたと思われますが、
慶安4年(1651)に家光が脳卒中で死去し、
正信は即日殉死しました。

正信が殉死した事により、
2人の家臣が正信に殉死しています。
この事からただの成り上がりではなく、
家臣に慕われていた人物だったのでしょう。

一翁圓心居士」


本如道空禪定門」
上2枚の写真が戸祭源兵衛荻山税助の墓。
彼らが正信に殉死した家臣ですが、
どっちが誰の墓かわかりません。
双方の墓は正信の墓の左右にあります。

■関連記事■
東京都台東区 龍宝寺/小見川藩内田家墓所
 小見山藩内田家の合葬墓。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です