現龍院墓地にある三枝守恵の墓所。
大名ではありませんが徳川家光に殉じ、
慶安4年(1657)4月20日に殉死しています。
「静心院殿一無了性大居士(右)」、
「珪室常光禪定門(左)」。
旗本寄合席6000石三枝守恵の墓と、
その家臣秋葉又右衛門の墓。
守恵は元和2年(1616)に家光の小姓となり、
下野国足利郡200石を拝領。
小十人頭、小姓組組頭、書院番頭と出世し、
次々と加増を重ねて6000石を賜り、
家光に格別の寵愛を受けていました。
寛永19年(1642)に隠居していますが、
家光の死去に伴って殉死。
守恵は当時病臥中の身であったようで、
家光の死の報を聞いて追い腹を切り、
これに家臣の秋葉が供したようです。
跡を継いだ三枝守俊は遺領6000石のうち、
1000石を弟三枝守政に与えていますが、
後に3000石を加増されました。
以後は守繁–守信–守知–守苗–利義と続き、
7500石の旗本として存続しています。
■関連記事■
・東京都台東区 現龍院墓地/阿部重次墓所
同じく殉死した阿部重次の墓。
・東京都台東区 現龍院墓地/内田正信墓所
同じく殉死した内田正信の墓。
