現龍院墓地にある堀田正盛の墓所。
正盛の父堀田正吉は700石の旗本でしたが、
母が春日局の義理の娘であった縁で、
将軍徳川家光に近習しています。
「玄性院殿心隠宗卜大居士(右奥)」、
「正統院殿華岳宗榮大姉(左手前)」。
堀田宗家初代堀田正盛の墓と、
正盛の正室正統院(あぐり)の墓。
正盛は短期間で小姓組番頭に昇進し、
1万石に加増されて諸侯に列しており、
寛永10年(1633)に六人衆に任じられ、
後に2万5000石に加増。
寛永12年(1635)には老中となり、
寛永15年(1638)に松本藩10万石に加増され、
家光の側近として大政参与に就任します。
寛永19年(1642)には佐倉藩11万石に転封し、
その後も幕政に大きく関わりますが、
慶安4年(1651)に家光が脳卒中で死去。
これを受けて同日に殉死しました。
家督は嫡男堀田正信が継いでいますが、
正信は幕政批判と無断帰国で改易。
後に正信嫡男堀田正休が再興を許され、
宮川藩1万石として続きます、
正盛の三男堀田正俊は別家を興し、
後に大老となって宗家を凌ぎいでおり、
最終的に佐倉藩11万石で維新を迎え、
堀田家は2家が華族に列しました。
正室のあぐりは酒井忠勝の五女で、
正盛との間に五男を儲けています。
嫡男正信、三男正俊の他に、
四男堀田正英が大名となっていますが、
後の代に知行は分けられており、
2家が旗本として存続。
次男は脇坂家の養子となっており、
五男も南部家の養子となりました。
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