東京都台東区 現龍院墓地/阿部重次墓所

源流院墓地を再び訪問。
前回は施錠されていたので諦め、
門のみを撮影して帰りました。
東京都台東区 現龍院墓地
後で調べると開けて貰えるとのこと。
そういう訳で再度来た訳ですが、
ネットでの情報ですので、
本当に今でも開けて貰えるのか?
不安を抱きつつ源流院へ行きました。


現龍院」。
現龍院は寛永寺の子院の一つで、
権大僧都什誉が創建しました。
開基は稲葉正成となっていますが、
正成の菩提を弔う為に創建されたという。
玄関先でチャイムを鳴らし、
墓地に参拝したい旨を告げると、
非常に丁寧な対応をして頂きました。

鍵を借りて墓地へ。

現龍院墓地」。
稲葉正成の墓所の他に、
3代将軍徳川家光殉死者の墓があります。
やっと入れた墓地ではありますが、
正成の墓を撮影し忘れてしまいました。
また再々訪が必要なようです。

ということで、
今回は家光の殉死者を紹介します。

芳松院殿全巖淨心大居士」。
阿部宗家2代阿部重次の墓。
重次は初代阿部正次の次男として生まれ、
三浦重成の婿養子となっていましたが、
後に重成の実子三浦重勝が生まれた為に、
3000石を与えられて別家を興しました。
後に実兄阿部政澄が病死した為、
阿部家に復して家督を相続。
寛永15年(1638)に老中に昇進し、
将軍徳川家光に重用されていたとされ、
家光が日光参拝に赴く道中では、
重次が藩主を務める岩槻で1泊しており、
自ら家光を接待していたという。
慶安4年(1651)に家光が死去した為、
その同日に殉死しています。
家督は長男の阿部定高が相続。
5代阿部正邦まで岩槻藩を治めており、
正邦が宮津藩宇都宮藩を経て、
宝永7年(1710)に福山藩に移封されて以降、
福山藩10万石の藩主家として続きました。

重次が家光に殉死すると、
その家臣らも重次に殉死しており、
重次の墓の傍らに埋葬されています。

實牌宗信居士(左)」、
喜津了悦禪定門(右)」。
新井頼母の墓と山岡主馬の墓。


観渓道秀禪定門(右)」、
榮源春窓禪定門(左)」。
小高隼之助の墓と鈴木佐五右衛門の墓。

彼等の詳しい経歴は不明ですが、
岩槻藩の重臣(家老クラス)と思われます。
もう一人村片某という人物も、
重次に殉死しているようですが、
墓は見当たりませんでした。
身分が低かったのかもしれません。

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