福山藩阿部宗家の歴代藩主は幕政に参加し、
その殆どの期間を江戸で過ごしています。
従って藩主の歴代墓所は江戸にあって、
国許にはありませんでした。
老中首座を務めた7代阿部正弘の死後、
6代阿部正寧の長男阿部正教が家督を相続。
正教は19歳と年若く病弱だった為、
幕政には関与する事は無く、
僅か4年で病死しています。
そして9代は正教の弟阿部正方が相続し、
京都警備や第一次長州征伐に藩兵を派遣。
第二次長州征伐で石州戦争に参加しました。
福山藩は大政奉還後も態度を明確にせず、
また幕政に参加した譜代藩であった為、
長州藩は藩兵を派遣して福山藩領に侵攻。
その矢先に正方は福山城内で病死します。
この状況に福山藩は正方の死を秘匿し、
福山城北西の小丸山に密かに埋葬。
長州藩は手薄な小丸山方面から侵攻した為、
藩兵は藩主の仮埋葬地を死守しました。
結局は大きな被害なく恭順する事となり、
仮埋葬地を荒らされずに終戦。
福山藩はすぐに戊辰戦争に駆り出され、
正方が本葬が行われたのは、
明治2年8月になってからという。
※広島藩の浅野元次郎が養子となり、
10代藩主阿部正桓となっています。
正方は小丸山の仮埋葬地から改葬され、
北西1kmの小坂山に埋葬されました。
北本庄庭球場の南側角より細道に入り、
左側の坂を登ると墓域入口に到着。
柵は車除けの為で歩いて登る事は出来ます。
少し登った頂上にある開けた場所。
奥に鳥居付きの墓が見えます。
「従四位下行主計頭阿部朝臣正方墓」。
福山藩9代藩主阿部正方の墓。
歴代藩主と違って藩政に力を注ぎ、
大規模な干拓工事(大新涯)を行っています。
また洋式帆船順風丸を竣工させた他、
農兵を徴募して領内治安を維持。
江木鰐水等の優秀な人材の意見を取り入れ、
僅か7年の短い治世で多くの政策を実施。
墓は谷中霊園にある歴代墓所とは違い、
神式による円筒形の墓となっており、
側面は亀甲形の切石が組まれ、
上部が玉石で覆われた土饅頭形です。
時局柄その死が秘匿されたのは、
小倉藩9代小笠原忠幹の場合と似ています。
人知れず仮埋葬された藩主達。
藩士達の心情はいかばかりでしょうか?
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・東京都台東区 谷中霊園/福山藩阿部家墓所
寛永寺谷中墓地にある歴代墓所。
・東京都台東区 谷中霊園/阿部正桓墓所
10代藩主阿部正桓の墓。
・広島県福山市 福山城
福山藩阿部宗家の居城跡。
・福岡県北九州市 福聚寺/小倉小笠原家墓所
小倉藩小笠原家の歴代墓所。
・広島県広島市 広島城
隣藩の広島藩浅野家の居城跡。