河井継之助の塵壺①

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備中松山藩山田方谷に学ぶ為、
河合継之助は西方遊学に出掛けています。
その旅を記した日記が「塵壺」で、
河井の著書ではこれが唯一のもの。
今回はこの塵壺の行程を追ってみます。

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安政5年12月27日長岡で出て、
翌6年正月6日に江戸に到着。
同15日に久敬舎に入塾し6月4日に退塾。

6月7日
武氏を立ち、花、三、鵜の三人が、
横浜の交易見物を兼ねて送ってくれた。
品川に二艘の外国船が浮かんでいたが、
いずれも城の如き有様である。
そのうちの一艘は大砲が9門あって壮観。
河崎で昼飯を取り、
神奈川に午後2時頃到着。
船で横浜見物したが出来上がっていない。
神奈川の帰路に多くの外国人と遭遇。
玉川屋に宿泊。
※長岡藩には武姓の藩士がいますので、
 たぶん長岡藩士の事と思われます。
 花、三、鵜の三人も長岡藩士でしょう。
 それぞれ苗字の頭文字でしょうね。



6月7日の行程。

6月8日。終日風雨。
①神奈川を出て、
午前10時を過ぎた頃に送迎の三人と別れ、
程ケ谷より山に入って②金沢に到る。
所謂金沢八景能見堂辺りで暴風雨となり、
大変な思いで金沢に着いた。
雨のせいか景色は悪く暗くなり、
鎌倉に至って裏門前の丸屋に宿泊。

6月9日。晴。
鎌倉は聞きしに勝る旧跡で、
感ずるに余りあり。
案内を雇って大体の場所は巡った。
昼前まで鎌倉を徘徊して、
七里ヶ浜に出た頃には午後1時過。
風があって望遠鏡も使えないが、
微かに城ヶ島も見え右に江の島が見える。
腰越に至ると海岸の高所に台場があったが、
有事ではない為か勝手に登る事が出来た。
義経の寺へ参ったが宝物は見ず。
午後2時までには④江の島に至り、
岩本院に宿を取って案内と奥の院岩穴へ。
午後5時頃まで観光して宿に帰る。
※義経の寺は満福寺の事で、
 奥の院は奥津宮の事。
 河井は望遠鏡を携帯していたようです。


6月8日~9日の行程。

6月10日。雨風。
午前9時頃に雨が止んだので、
①江の島を立ち、
海沿いを進むと風雨となって難儀。
漁舟の陰に少し潜んで②南湖へ。
ここは東海道の藤沢平塚の間である。
酒匂川を蓮台で渡り③小田原に宿泊。
時間も早いので松隈謙之丞を訪ね、
夕方宿に帰って髪を結う。
※松隈謙之丞は小田原藩士。
 蓮台とは川を渡る為に人足が担ぐ乗り物。
 

6月10日の行程。

つづく。
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