河井継之助の塵壺⑧

つづき。
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9月23日。晴。
昨夜は夜半まで雨が降っていたが今朝は晴天。
本郷を出立して山に入る。総じて芸州藩領。
道は良いが退屈で「安芸はあきたり」と戯れた。
午後5時頃に②四日市に着いて宿泊。
本郷の前の小早川の城や、
小早川が朝鮮より持ち帰ったがある寺があり、
これらを見たかったが日没で見物できなかった。
この辺ではを「たを」と云うらしい。
自分のあまりに身軽な恰好を見て、
三原より広島への御飛脚か?
と、尋ねる者がいたので可笑しかった。
※安芸(アキ)は飽きたり!とおやじギャグ。
 本郷は小早川氏の高山城があった地。
 小早川隆景三原城に移るまでの本拠でした。
 小早川が持ち帰った鐘は照蓮寺の朝鮮鐘。
 峠の事を「たお」と言うのは、

 広島や山口の古い言い方。
 軽装を飛脚に間違えられて面白がっています。


9月24日。晴。
朝、四日市と出発し長山を越えてを通り、
③広島に午後4頃に到着。所々を見物。
御笹川という良い感じの川あり、
これを7つに堀り分けて城の左右へ廻している。
これを安芸の七川という。
夜10時頃、船宿より宮島に渡ろうとするが、
潮が悪くて結局出せず仕舞い。
仕方なく小舟で④草津という所に向かう。
既に夜は明けて肌寒く、
寝ることもできず馬鹿らしい目に遭った。
※広島への道中に商人に備前札について聞き、
 評判の悪さにあきれています。
 安芸には間引きが無いと感心していますが、
 間引きが通常であることに戦慄を覚えます。


9月25日。晴。
小舟より草津の船に移ると、間もなく出航。
天気は良く風景を見ながら⑤宮島へ向かう。
午前8時頃に到着。宮島には富くじがあり、
年に6回の抽選で既に済んだ後だったが、
当選した者が同船に3~4人いた。
宮島に着いてから朝飯を食べて、
弥山の頂に登り四方を見晴らす。
鹿多く家数もあるが狭い場所で、
陶晴賢が負けたのも頷ける。
夜になって船を出し、明け方に⑥新湊へ到着。
※宮島は大したことが無いと聞いていましたが、
 河井はその風景に感動しています。



9月23日~25日の行程。

9月26日。晴。
二里ばかり行って①岩国の城下に至る。
城下の様子を見るにいかにも裕福そうである。
人柄も穏やかに思われる。
わずかの隔たりであるが宮島とは雲泥の違い。
錦帯橋は城の大手で聞きしに勝る趣なり。
橋の手前に見物の茶店があり、
川魚に茶を入れて食べる。
橋を見物して向岸に渡り、
二里ばかり行って海道へ出た。
この道にて新米を運ぶ馬に何度か会い、
錦帯橋見物していると、
面や竹刀を持った者が数度往来する。
岩国縮松金油の店が沢山あって名産という。
6万石の陪臣には過ぎたれども元春公を思えば、
周防一国を領するほどであると思う。
呼坂に宿泊。
※岩国の裕福さや人柄に関心しています。
 岩国吉川家が陪臣であるという感覚を、
 他藩の河井も持っていたようですね。


9月27日。晴。
朝、花岡徳山の間の③遠石で船に乗り、
徳山を右に見て④富海に着く。
二里ばかり行って⑤宮市に着く頃に日が暮れる。
夜に食事してから天神に参詣。
境内の様子余程大社なり。
夜で良くわからないが、
夜店、燈籠が数々あって賑やか。
長州領の中では随一ではないだろうか。
この夜はじめてを食べた。
防府天満宮に参拝。賑やかさは長州一の評価。
 みかんを始めて食べたようですが感想は無し。


9月28日。風雨強。
朝、雨強く、
少し小降りになったと思えば風雨となり、
久々に大変な目に遭って困った。
山中に宿泊。岩国より総じて松茸が多く、
この宿では1斤4~50文にて食べられる。
※当時は松茸が多かったんですね。
 今はそんなことありませんが・・。



9月26日~28日の行程。

つづき。
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