榮涼寺は長岡藩牧野家の菩提寺で、
牧野家が三河牛久保城主だった頃に、
当主牧野成定によって光輝庵として建立。
牧野家が大胡藩、長岡藩に移封されると、
同じくに移転したようで、
長岡移転時に榮涼寺と改められました。
「榮涼寺本堂」。
北越戦争での焼失後に再建されたもの。
戦争時は新政府軍が占領していましたが、
長岡城奪還戦の際に長岡藩兵に放火され、
榮涼寺は全ての伽羅を焼失しています。
「小林虎三郎詩碑」。
長岡藩大参事小林虎三郎の詩碑。
榮涼寺裡暁鐘聲 驚破幽人春夢清
貧着餘温猶不起 閑聴黄島竹間鳴
寒翠病叟
訳:栄凉寺の暁鐘の音が隠者を驚かし
春の夢はあとかたもない
布団の温もりから離れ難く
寝たままで竹林の鶯の声に耳を傾ける
「追遠之碑(戦死者供養塔)」。
北越戦争での長岡藩戦没者の供養塔。
「珠光院誠誉忠雲居士(二見虎三郎の墓)」。
長岡藩軍目付二見虎三郎正直の墓。
河井継之助と共に小千谷談判に随行。
北越戦争では従卒隊長として戦い、
長岡城陥落後は会津に転戦し、
若松城下七日町の戦いで負傷して、
山形に運ばれた後に自刃しました。
「先祖代々之墓(三島億二郎の墓)」。
長岡藩大参事三島億二郎の墓。
長岡藩士伊丹市左衛門の二男として生まれ、
川島家の養子となり後に三島と改めます。
江戸に遊学して佐久間象山等に学び、
河井と親しく奥州遊学にも同行しました。
新政府への抗戦は反対の立場でしたが、
小千谷談判が決裂すると抗戦を決意。
軍事掛として北越戦争を戦っています。
戦後は牧野頼母、小林虎三郎らと共に、
長岡藩大参事に就任。
藩士や領民救済の為に、産業振興、
教育環境の整備、病院や銀行の設立、
北海道の開拓を推進しました。
性格は温厚で思慮深がったとされます。
右から、
「興學院誠譽定勝居士(秦八郎)」、
「弓先院道譽光照居士(杉山道喜)」、
「西軍供養塔」。
長岡藩士波多謹之丞は主戦論と唱え、
先鋒銃士隊長として榎峠の戦いに参戦。
軍資金を守る御金奉行に任命されました。
戦後は秦八郎と改め長岡の復興に尽力。
初代坂之上小学校校長に就任しています。
杉山道喜は長岡藩弓術指南役であった人物。
それ以外の事はよくわかりません。
西軍供養塔は野戦病院として使われた際、
榮涼寺で戦病死した新政府軍兵士の供養塔。
「長岡藩牧野家墓所」。
長岡藩主牧野家の墓所。
2代~11代の墓所は江戸済海寺ですが、
幕末期以降の当主の墓が建てられています。
※済海寺の墓は長岡悠久山に移転。
気になるのは手前の五輪塔。
藩主家と関わりありそうなのですが、
よくわかりません。
「従五位牧野忠訓 室彝子之墓」。
12代藩主牧野忠訓と室彝子(つねこ)の墓。
宮津藩主松平宗秀の四男として生まれ、
安政5年に11代牧野忠恭の養嗣子なり、
慶応3年に忠恭の隠居で家督を継ぎます。
養父と同じく河井に信任を置き、
長岡藩は北越戦争に突入。
多くの藩兵を前線に送っていましたが、
新政府軍は背後から攻撃して長岡城を落し、
忠訓ら藩主家は城を落ちて会津に撤退。
その後仙台で降伏しており、
隠居と5万石減知で存続を許されています。
明治8年、死去。
「従三位牧野忠毅之墓」。
13代藩主牧野忠毅の墓。
忠恭の四男でしたが幼少の為、
家督は養子牧野忠訓が継ぎ、
忠訓が強制隠居となった為に家督を相続。
版籍奉還を経て廃藩置県で藩知事を辞職し、
家臣と共に慶應義塾に入学しました。
明治8年に病気を理由に隠居し、
実父忠恭が再度家督を継いでいます。
大正7年、死去。
「従二位勲二等子爵牧野忠篤 室茂子之墓」。
長岡藩牧野宗家15代当主。
忠篤は12代(14代再就)忠恭の五男で、
父の死去によって宗家の家督を相続。
慶応義塾に学び貴族院議員を経て、
初代長岡市長に就任して市に尽くします。
市長退任後は貴族院議員に再任。
昭和10年、死去。
後方に河井継之助の墓があります。
「河井継之助の墓」。
「河井家の墓は此處
忠良院殿が継之助様であります」とあり、
墓石の文字は風化で読めません。
河井は会津領只見の塩沢村で死去。
遺骨は新政府軍に暴かれるのを恐れ、
小田山中腹に密かに埋葬し、
従僕の松蔵によって持ち帰られました。
河井を恨む何者かに何度も倒されたという。
榮涼寺墓地の北東端には、
藩儒伊藤家の墓所があります。
「伊藤東岸の墓(右)」、
「伊藤東嶽の墓(左)」。
伊藤東岸は京都の古義学派の儒学者。
9代藩主牧野忠精が京都所司代を務めた際、
その縁で藩校崇徳館に招かれました。
これによって長岡藩の藩学は朱子学から、
古義学に移行その中心を移しています。
伊藤東嶽は東岸の養子で、
同じく藩校崇徳館館長となっていますが、
河井によって古義学派は廃止されています。
榮涼寺には幕末期の長岡藩士達の墓が多く、
幕末長岡藩ファンの聖地のようでした。
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