長岡藩の槍術の達人伊東道右衛門は、
老体ながら槍を持って北越戦争に参戦。
祖先伝来の甲冑を纏って長槍を構え、
華麗な槍で薩摩藩兵3名を仕留めたという。
※2名の説も。
その伊東老人が戦死した場所にある碑。
「伊東道右衛門戦死の地」。
城岡3丁目の川畔に碑が建てられています。
河川改修工事で川筋が当時と変わっており、
実際の戦死場所ではないらしいのですが、
それは野暮というものです。
「戦死士伊東君碑」。
慶応4年5月19日。
新政府軍は信濃川を渡河し長岡城を強襲。
蔵王堂付近に大砲陣地にいた長岡藩兵達は、
この報を聞いて急ぎ救援に向かいました。
その中に伊東老人がいたようです。
※大砲隊の隊長だったとも。
しかし伊東老人は味方とはぐれてしまい、
攻めてきた薩摩藩の部隊と遭遇。
伊東老人は大声で名乗って槍を構えました。
これに侮ったのか薩摩兵が刀で応戦すると、
巧みな槍さばきで3人を討ち倒します。
これに驚いた隊長は隊士らに銃撃を命じ、
伊東老人は無数の銃弾を受けて絶命。
薩摩藩兵らは老体ながら立ち向かった武勇と、
見事な槍さばきに敬意を表したという。
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長岡藩牧野家の居城跡。