長岡市街東側にある悠久山公園には、
長岡藩関連の石碑が多く建てられています。
「悠久山公園案内図」。
碑の場所も記載されていてとても良い。
幕末以外の長岡所縁の人物の碑もあります。
「蒼柴神社」。
長岡藩忠興の祖3代牧野忠辰を祀る神社。
京都の神祇道管領吉田家より神号が贈られ、
4代牧野忠寿が城内に社殿を創建し、
その後悠久山に遷座しました。
公園は蒼柴神社の社地を公園化したもの。
「長岡藩牧野家霊廟」。
社殿の横に並べられた牧野家の墓碑。
牧野家の墓所は江戸の済海寺でしたが、
昭和57年に牧野家の墓碑17基が、
ここに移されています。
幕末期の藩主は10代以降。
「10代藩主牧野忠雅の墓(右2つ目)」。
「11代藩主牧野忠恭の墓(中央)」。
「15代当主牧野忠篤の墓(左)」。
10代藩主牧野忠雅は阿部正弘の右腕で、
老中海防掛とを任じられています。
堀田正睦が実権を握ると老中を辞任し、
翌年に病死しました。
11代藩主牧野忠恭は、
西尾藩3代松平乗寛の三男で、
忠雅の養嫡子となって家督を相続。
文久2年に京都所司代に就任しますが、
小藩では対応できないと辞任。
同年に老中に就任しました。
河井継之助に絶大なる信任を置き、
藩政改革を推進させて慶応3年に隠居。
明治8年に再び家督を相続しますが、
明治11年に死去しています。
15代当主牧野忠篤は、
父忠恭の死去により家督を相続。
初代長岡市長や貴族院議員に就任しました。
榮涼寺にも墓があります。
「悠久山招魂社」。
蒼柴神社社殿の左奥にある招魂社。
僕は山口県内の招魂社を制覇していますが、
ここは殆どそれと同じようなものでした。
明治7年に創建されたもので、
北越戦争や西南戦争殉難者墓碑が並びます。
「總督河井繼之助秋義(右)」、
「大隊長山本帯刀義路(左)」。
長岡藩総督河井継之助と、
大隊長山本帯刀の墓碑。
北越戦争時のNo.1、2が並んでいます。
駐車場から入りましたので前後しますが、
西側の蒼柴神社の参道へ。
「病翁碑」。
小林虎三郎の碑。病翁は小林の号。
吉田松陰と共に象山門下の二虎と称され、
[米百俵]の逸話で知られます。
戦後の荒廃した長岡の復興に尽くし、
特に教育に関して熱心だったという。
参道には長岡藩槍隊と刀隊の慰霊碑が・・。
「戊辰槍隊戦没諸士碣」。
最新兵器を装備した長岡藩兵ですが、
白兵戦で槍隊、刀隊が活躍したという。
混戦では個人の力量と士気が重要となり、
農兵の長州藩や士気の低い諸藩兵に対し、
無類の強さを発揮した事でしょう。
これは槍隊戦没者の慰霊碑。
「戊辰刀隊戦没諸士碣銘」。
こちらは刀隊戦没者の慰霊碑で、
小林虎三郎の撰文によるもの。
刀は戦場では副武装だと思っていましたが、
槍隊、刀隊の区別があるということは、
刀を主武装とした隊があったという事です。
フィクションだけの話かと思ってた・・。
慰霊碑の場所より参道から逸れると、
石碑が3つ建てられており、
うち2つが幕末期の人物のものでした。
「舊長岡藩山本義路君碑」。
長岡藩次席家老山本帯刀義路の顕彰碑。
門閥家老ながら河井を支持して改革を助け、
北越戦争では第一大隊長として活躍します。
長岡藩の撤退の際には殿軍を務め、
会津戦争にも参加しますが、
濃霧の中で孤立して包囲されてしまい、
宇都宮藩兵に捕縛されました。
山本は助命の提案を固辞したようで、
明治元年9月9日に阿賀野川の河原で斬首。
篆額は榎本武揚によるもの。
「従二位勲一等法学博士渡邊廉吉君記念碑」。
帝国憲法や旧皇室典範、民事訴訟法等、
制定に関わった法学者渡辺廉吉の記念碑。
彼は15歳で北越戦争に従軍していますが、
彼の実兄渡辺豹吉は山本帯刀家の家臣で、
山本が捕縛された際に共に繋がれたという。
豹吉は下男を偽って助命を願い、
助命を断った山本のみが斬首されます。
豹吉は山本の埋葬を請うてこれを許され、
主人を埋葬した後で態度を豹変させました。
新政府軍に主人の許に参じたいからと、
自らの首を差し出して斬首されます。
主君の最期を見届けると誓っていた為、
命乞いをして後始末を済ませ、
それから共に死出に参ろうとしたようです。
この兄の意思を継ぐように廉吉は、
山本帯刀家の再興に尽力。
長岡士族高野貞吉の六男に白羽の矢を立て、
山本帯刀家を継がせたのが、
後の連合艦隊司令官山本五十六。
参道に戻り入口方向へ。
「長屋定平之碑」。
大垣藩士長屋定平得行の顕彰碑。
大垣藩は鳥羽伏見で旧幕軍として戦い、
後に恭順して新政府軍となっていますが、
これを良しとしない一部藩士は脱走し、
援軍として北越戦争に参加しています。
この碑の長屋定平もその一人で、
陣場方として老体に鞭打って参戦。
桂沢の戦いで戦死しています。
参道を戻って南側の自由公園方向へ。
「故長岡藩總督河井君碑」。
撰文は三島中洲、題額は黒田清隆。
長岡藩総督河井継之助の顕彰碑。
河井については語るまでもないでしょう。
公園には幕末以外の長岡所縁の人物の碑が、
広い公園中に沢山建てられている為に、
[鵜殿団十郎碑][三島億ニ郎碑]を、
完全に見落としました。
最後に郷土博物館へ。
「長岡市郷土博物館」。
天守閣を模した建物の郷土博物館。
長岡城がJR長岡駅となってしまっている為、
こちらに天守と建てたのでしょうか?
いっそ、長岡市とJR東日本が協力して、
駅ビルを天守にすれば良いんじゃないかな?
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