つづき。
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安政6年9月18日。曇。小雨時々ある。
朝、進が詩を書き直して持ってきた。
午前8時頃に①花屋を出発して、
川に沿って進み、
美袋より川を渡って山に掛かり、
広い所に出る。
山陽道に出て二里入ると②玉島に着く。
林を訪ねて林宅で夕飯を食べた。
娘の琴を聞いていると林の弟元三郎が来た。
小島屋に宿泊。
折悪く天気が悪くて船が出ない。
※約2ヶ月の松山滞在を終えて長崎へ出発。
まずは金刀比羅参拝に向かう為に玉島へ。
進とは備中松山藩士進昌一郎の事で、
山田方谷の高弟。
前日に餞別として扇子に詩を書いて、
河井に送っていましたが、
出来が気に入らなかったのか、
書き直して持って来ています。
玉島で訪ねた林も方谷高弟林富太郎の事。
現在の小島屋(児島屋)の跡には、
河井継之助逗留の船宿(児島屋)跡碑が、
建てられています。
安政6年9月19日。晴。
夜にならなければ船は出ないというので、
今日は玉島を見物する事にする。
羽黒山の社は社殿も綺麗で石灯篭も見事。
円通寺は山頂にあり境内より諸島が見える。
玉島は大きくないが思ったより良い所。
宿の二階で海を眺める。
寝ようとすると丸亀行の船が来たようだ。
午前4時前で晴れており月星が照っている。
船中に出来合飯はないようなので、
支度し直してすぐに出かけた。
※羽黒山の社は現在の羽黒神社。
円通寺は越後出身の良寛ゆかりの寺。
安政6年9月20日。晴。
③丸亀に到着。月はあるがまだ暗く、
港の様子はわからない。
④金比羅を目指して歩く。
丸亀は石高の割に城下がよく思える。
ようやく日が出ると風景が面白い。
流石に街道、道幅も広く結構なものである。
これらを見物してとら屋という宿で朝食。
香川県仲多度郡 金刀比羅宮①
宿は建物も良く庭は宿にはもったいない程。
宿に荷物を置いて山に参拝する。
山に登って本堂の立派さに実に驚く。
下りて宿へ戻って荷物を取り、
⑤多度津へ向かう。
善通寺はなかなか遠く名ばかりで、
大いに失望。
多度津は城下にて港町でもあって賑やか。
船宿にて飯を食べて船に入り、
夜になって出航する。
※とらやは現在はうどん屋となり、
当時のままの建物を残しています。
善通寺は空海誕生地ですが酷評。
安政6年9月21日。
晴。この日蒸気船を見る。
ようやく明け方に舟を出す。天気は良い。
午後4時頃に⑥鞆津へ着き、
広島県福山市 鞆の浦①
船より上りて諸方を見物。
福山藩領で大変に良いところである。
海岸の山上に寺あり。寺名は忘れる。
臨海の座敷は対潮楼という有名なところで、
そこから見る景色は庭の如く絶景。
また祇園の社に登りこれまた好風景であった。
夜半まで風時化悪し。午前0時頃に出航。
※鞆津は鞆の浦の事。山上の寺は福禅寺。
朝鮮通信使迎賓館として利用された寺で、
対潮楼はその客殿。
祇園社は沼名前神社の事。
安政6年9月22日。晴。
午前8時頃に⑦尾道に着く。
ここは芸州藩領。
家数多く往来の船の通路なので栄えている。
午前10時頃小舟に乗って三原へ向かい、
午後2時頃に⑧三原に着いた。
ここは芸州藩家老浅野雅楽の居城。
石高は3万石との事だが、
城や城下は小大名も及ばないだろう。
城の堀に海魚多く泳いでおり、
鯉や鮒のようである。
夕方⑨本郷へ着いて宿泊。
9月18日~22日の行程。
つづく。
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